この記事は20代の女性に書いていただきました。
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私は普段、ヴァイオリニストとして関東を中心に演奏し、時期によっては楽器を持って全国各地を飛び回っています。最近はもっぱらコンサートに呼ばれて演奏する他、ピアノや大道芸とのコラボで屋内だけではなくストリートでパフォーマンスをしたり、何でもありなスタイルで活動しています。
私は【ADHD】【自閉スペクトラム】【チック(トゥレット症候群)】という3つの発達障害を合併して抱えているのですが、それが分かったのは20代中盤です。それまでは人生で上手くいかないことが多く、大きな苦しみを抱えました。
出生~小学低学年まで
私は未婚の母の元で約1600グラムの未熟児で生まれました。心臓に空洞が出来ていたのと他の子よりも免疫力が弱めだった以外には特に表立った問題はなく、退院して母の実家のある福岡に引っ越し、幼少期は祖父と祖母、母との3人で生活を送りました。
そして1歳半になった頃から保育園に通うことになりました。その保育園の園児の9割ほどは男の子だったので、男の子と毎日遊んだり、お手紙交換、お菓子交換をしており、いわゆる女の子が遊ぶような人形を使った遊びなどには興味を示しませんでした。時には一人でおままごとをしていたりもし、大変不思議な子だったと思います。発達障害の子供は誰とも関わらず一人遊びが多いと聞きますが、私の場合にはそこまで極端ではありませんでした。
環境の変化、いじめ、そして・・・
小学校を入学してから間もなく友達ができ、その友達たちと一緒にいることが多かったので嫌な事があってもそんなに落ち込まずに済みました。しかし、担任の先生とは上手くいきませんでした。体育の授業の前後に着替えをするときや、周りに合わせて同じように動かなければならないときに、不器用な私はスムーズに物事をこなすことが出来ずいつも先生から叱られ、時には廊下に立たされたことも。発達障害の人は不器用が多いと聞きますが、私も例外ではありません。
そして、一年生があと数か月で終わるという頃に、母が新しい父になる人を連れてきて、来年度には引っ越して転校しなければならなくなりました。転校して次の日から複数の男子による暴行によるいじめが始まり、毎日アザだらけになって帰宅する日々でした。どうやら理由は、『転校生だから』『いつもニコニコして気持ち悪いから』でしたが、やがて女子からも嫌がらせを受けるようになり、最終的に私は孤立してしまいました。
無意識にニコニコしてしまうのはトゥレット症候群の症状だと後に判明しますが、この頃は誰も気づかなかったのです。ちなみに学校だけではなく、楽器のレッスン中に先生のお話しを聞きながら無意識に笑顔になっていたものですから、何度も母から注意されるほどでした。
トゥレット症候群についてはほとんど知られていませんが、発達障害の1つです。症状は以下の通り様々ですが、私の場合、顔の動きが笑っているように見えてしまったのかもしれません。
[運動チック]
顔面の素早い動き(まばたき、顔をしかめるなど)、首を振る、腕や肩を振り回す、体をねじったり揺すったりする、自分の体を触ったり叩いたりする、口の中を噛む、他人の身体や周囲のものなどにさわる、など[音声チック]
咳払い、短い叫び声、汚言症(罵りや卑猥な内容)、うなり声、ため息をつくなど
小学校4年生の終わり頃にいじめへのピリオドを一旦打つことになります。非常勤の先生たちがいじめに気付いてくれ、大幅なクラス替えなどを実施され、新しい友達も出来るようになりました。
けれど、長年培ってきたストレスはそう簡単に消えるはずもなく、小学6年生の頃に先生やクラスメイトたちと噛み合わなくなったのがきっかけで、とうとう私は声が出なくなりました。幸い、一週間後に声が出るようになりましたが、発達障害による二次障害が心に大きなダメージを与えたのは間違いありません。
中学校では自信を取り戻す
中学校へ入学したものの、周りはみんな初対面ばかりなので馴染めるか不安でしたが、声をかけてくれた友達や先生たち、そして私のことについて興味を持ってくれた他のクラスの人たちのお陰で、非常に開放的な毎日を送れることが出来ました。
また、学校行事では5歳から習っているヴァイオリンを演奏していた為、全学年の生徒たちが自分に話しかけてくれるようになりました。これが自分への自信へと繋がったので、ヴァイオリンへのやる気が沸いてきました。
そしてある時、期末テストを頑張った自分へのご褒美として、幼少の頃から大好きだったオペラを観に行きました。その時、ふとこう思ったのです。
『もしかしたら、東京に行ったらオペラをもっと見ることが出来るのかなぁ』
この頃から東京へ行きたい思いが一気に強くなり、東京にある音楽高校を志望。半年ちょっとで猛練習をし、音楽理論も勉強し直して、ついに進学が決定。来年から上京することになりました。
自律神経失調症と軽度のうつの診断
中学を卒業し、上京して女子寮に入りました。女子寮とはいっても個室なので実質一人暮らしと変わらない感じでした。けれど意外にそれが落とし穴だったのです。部屋の中はだんだんとグチャグチャになっていき、2か月が経つころにはゴミが溜まって足の踏み場がなくなり、その都度母が来て怒りながらも掃除をするようになりました。ADHDの特徴と言ってしまえばそれまでですが…。
学年が変わった途端に前例のなかったクラス替えが急遽行われました。私は新しいクラスに馴染めず、ホームルーム中はなるべく保健室に避難していました。また、当時は男性の先輩たちと仲良くしていたからか、学校中で有りもしない噂が広がることにより、自分の精神状態が徐々に追い詰められていきました。そんな時に、不眠や憂鬱な気分が続くようになり、それを見かねた保健室の先生から心療内科を勧められました。その結果、【自律神経失調症】【軽度のうつ】と診断されました。
悪いことは続くもので、音楽コンクールに向けての練習中に腱鞘炎になってしまい、少ししか演奏出来なくなりました。この頃から、自信がだんだん失われていき、挫折へと陥ってしまいます。
挫折からの精神疾患
高校卒業後、エスカレーター式に大学へと進学しましたが、高校と違って一人ひとり時間割は違うので、スケジュールを管理することが非常に困難でした。それに加え、親とも意思の疎通が上手くいかなくなり、学校行くための電車での移動も困難に。次第に布団から動けなくなり、最終的には排せつの管理も出来なくなりました。
このままではいけないと思い、当時の恋人に介助させられながら様々な病院に行きましたが、一向に要因が分かりませんでした。そして、あるクリニックで病名がようやく明らかになりました。それは【重度のうつ】【パニック障害】です。そこから数年、私はこの病名としばらくお付き合いすることになります。今から思えば【重度のうつ】【パニック障害】は発達障害の二次障害で起こったんだなと分かりますが、当時は全く分かりませんでした。
生活が荒れる
大学を中退し、新しく環境を変えて一人暮らしをすることになりましたが、そこでも物を整理整頓出来ず、半年経たたないうちに水場はカビだらけと化しました。また、コールセンターのバイトにも手を出しましたがどの会社も2か月ともたず、夜のほうが身体が動きやすいというのもあり、夜に出来るバイトをして朝帰りをするという毎日を送っていました。
けれど、どこかで何とかしたいという気持ちがあったからか、大学の研究室でのバイトは珍しく長く続きました。大学でのイベントに自らも携わるようになり、その上音楽療法も専門にしている研究室なので、自分の得意な面を大いに生かせたのだと感じます。
突然の転機
大学の研究室を通して、とある障がい者就労施設から連絡が来て、施設内のホールでソロ・リサイタルをやってほしいとのオファーが来ました。もちろん引き受け、何度か打ち合わせを重ねた後に久しぶりにソロ・リサイタルを実現することが出来ました。しかも、自分がうつ病になったことなどの体験談を交えながら演奏したので、反響は大きかったです。長らく自分の中に封印されていた、音楽への自信がまた芽生え始めました。
そのコンサートから間もなく、他のコンサートのオファーが殺到し、ほぼ毎日演奏する生活へとなっていきました。それにより、新しい音楽仲間とも沢山知り合え、その仲間の中に現在の彼がいたのです。
ようやく発達障害が発覚、そして現在
今の彼と出会ったのは今から2年以上前で、出会って数日後にお付き合い、同棲・・・と経て現在へ至ります。付き合い始めから彼から『本当に忘れっぽいね』『ちゃんと片づけなよ』『今、話聞いてた?』『体力ないんだね』などなど、沢山指摘されました。
一緒に生活しだして1年が経ったころにひょんなことで『ちゃんと病院行ってみたら?何かしら特性あるんじゃないかな』と言われ、思い切ってデイケアやカウンセリングなどのプログラムが充実しているメンタルクリニックに行きました。そこで3つの特性【ADHD】【自閉スペクトラム】【トゥレット症候群】の診断(発達障害の合併)が明確に下されたのです。
どうして今まで誰も気づかなかったんだろうと思う反面、これまでつまずいてきた全貌がようやく明らかになったという安堵な気持ちになりました。今は、月に2回ほどデイケアに通い、3週間に1回ほどカウンセリングを受けています。自分のことを言葉で説明するのが困難である為、彼の仕事がお休みの時には一緒にカウンセリングに足を運び、自分を客観的に見た状況を伝えてもらいながらまた違う角度で助言してくれています。
今でも不得意なことでつまづいてパニックになるときがありますが、仕事をしている時は、得意分野を最大限に生かせてる為、充実しています。『聴覚過敏』や『たまに記憶がビデオのように鮮明に残る』、そして『衝動的』などの特性は、音を聴いたり覚えたり、移動が多くても平気、人脈を広げられるなど、大いにプラスになっています。このように、今後も自分の生活状況に合わせながら様々な人や機関を頼りにしながら3つの特性と付き合っていきたいです。