この記事は自閉症のお子さんを育てている30代の女性に書いていただきました。
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そもそも発達障害は≪障害≫なのか?
子どもが発達障害だとわかってから数年、色んな書物を読み、色んな療育を受ける子たちを見て、色んな発達障害者に会って、今現在個人的には「発達障害そのものは障害ではない」と思ってます。
というと語弊があり、実際苦しんでいる人がいて、困る場面があって、支援や配慮が必要な場面があるので、言い方には注意が必要ですが、自閉の特性であったりADHDの特性であったりそれ自体が何か悪であるとは思わないのです。
極端な例でいえば、うちの娘はもし原始時代にでも生まれていたら、なかなか良い仕事をしたと思うのです。言葉に多少不自由がありますが、身体的に能力が高く、動体視力に優れ、狙った獲物は逃がさない、多分狩りに出たら良い獲物をいっぱいしとめてきたと思いますし、動物に襲われても勇敢に戦ったんじゃないかと思います。
でも、現在の日本に生まれたから学校では椅子に座って授業を受けなきゃいけないし、信号とルールを守って移動しないと事故に遭うだろうし、集団行動と協力と秩序を前提にした高度な社会生活が「普通」ですので、たちまち不適応者になってしまいます。
私は大多数の脳と違う構造を持っていることを「発達障害」と呼んでいるだけと思っていて、本当は「特殊発達」とか「少数脳」とかそういう表現がしっくりするのですが、発達障害と名付けられてしまったのだから仕方なく使っています。
例え脳の構造が異なっていても、社会的に成功すればそれは素晴らしい個性であって、突然プラスの意味合いでとらえられますね。そういう意味でも「障害」と名付けるのはどうかと思います。
特殊な才能がある発達障害者
数ある障害の中でもとりわけ自閉症者の中に多いらしいのが、サヴァン症候群と呼ばれる特定の分野に突出した才能を持つ人です。景色を一瞬見ただけで完全に細部まで記憶して絵を写真のように描き上げたり、楽器の演奏に秀でていたり、カレンダーを見ずに何十年も前の日付の曜日を言い当てたり。ドラマや映画などにも取り上げられやすいテーマになりますね。
さかなクンは、小さい頃から絵が好きで、とりわけ魚の絵を描くのが上手だったとか。他の勉強はさっぱりで先生から親に注意を促されたけど、母親は「この子は魚が好きなので良いんです」と、魚を切り身じゃなく丸ごと買って見せてあげたり、水族館に毎日のように連れて行ったり、魚関連の書物を見せてあげたり、さかなクンのやりたいことを全力で支援したと言われてます。普通のお母さんならそこで、「魚ばっかり見てないで勉強しなさい。将来困るわよ」とでも言いたくなるところ。
また、あのエジソンも小学校では先生を質問攻めにするなど問題行動が多く周りに迷惑になるということで退学、親が家で勉強を教えて質問攻めにも丁寧に答えていったり、興味を持った化学実験できる環境を与えたというのは有名な逸話です。
彼らが発達障害だったかというのは時代が違いますし分かりませんが、「普通の学校教育」にそぐわないのは事実だったと思いますが、それを親が引け目に思ったり否定したりせず、本人の興味関心を丸ごと受け入れて伸ばしてやる働きかけをしてやったからこそ、その才能が花開いたと思います。
エジソンのお母さんが「余計なこと言わないでちゃんと先生のいうこと聞きなさい!」と叱って学校に送り出していたら、数々の発明はなかったかもしれませんね。
我が家の自閉っ子の、輝ける場所
我が子には2人自閉症児がいて、それぞれタイプが違い、1人は大人しく運動音痴、極度に慎重で怖がりで、一緒に行動するのが面倒なタイプで手がかかります。でもあるきっかけで将棋を教えたら、たちまち覚えてあっという間に私より上手になりました。
一つ行動する前に、あれこれ考えすぎてしまう子ですが、将棋のように慎重さが必要な世界ではそれはきっとプラスであって、ある環境の中では良い方向に働く良い例だなあと思います。良く対局をせがまれ、毎度負ける私はつまらないからやりたくないほどです。
逆にもう1人の妹は、将棋なんてとんでもない、落ち着いて静かに何かしましょうという環境では脱走したりパニック起こしてしまう問題児ですが、運動会のお遊戯や体育教室になると拍手喝さいを浴びてみんな驚くほどの運動能力を発揮しますし、絵を描かせたら特徴をしっかりとらえて、大人を含めた絵のコンテストで賞をもらったこともあります。
健常の子でも、もちろん合う環境合わない環境はあるのですが、発達障害の子は、とても環境に敏感でその落差がとんでもなく大きいなと思うのです。良い環境に入って、才能を花開かせることができたなら、発達障害者というくくりでなく「強い個性を生かして成功した人」になるんだと思います。
2人はたまたま将棋と運動という比較的見つけやすい得意分野があったわけですが、色んな体験をさせて興味のある分野を探してあげるのが親にできることかなと思います。発達障害ゆえに経験不足や視野が狭くなったりしてしまう部分はあると思うので、そこは親や周りが支援してあげるべきかなと思います。彼らは、普通の世界で「適当に折り合いをつけてやっていく」ことが難しいのですから。
どういう風に接していったらプラスなのか
発達障害の特徴は悪ではなくて、活かす環境があればプラスになるとは言っても、やはり社会で生きていくのは大変だと思います。成功者になれるほどの才能が発掘できるなんていうのは当然一握りの夢物語みたいなものですし、もし何かしら得意分野を生業にできたとしても、どんな仕事でも人との関わりは欠かせません。コミュニケーションに難を抱える自閉症が社会で生きていくのに大変というのに違いはありません。
私が今思うのは、今療育や特別支援教育は、「普通の社会に適応できるように」とか「不足しているところを支援していこう」とか、マイナス面のみに着目してばかりだということです。もちろんそれは社会の中で生きていくときに大事なことです。否定するつもりもなく、親としては非常にありがたいことではあるのですが、プラス面を伸ばす療育にも力を注いでくれたら、もっと効果があるんじゃないかと思うのです。
健常者だって、苦手なことをトレーニングして普通に近づけるよりも、得意分野を磨いていった方が社会で認められることが多いし、何より本人が楽しく自信もつき生き生きした生活ができると思うのです。
苦手な部分を補うことと、本人の得意な部分を伸ばすことを、両輪でやっていければ、本人にとっても嬉しいことで、社会にとってもプラスになるはずです。今は得意分野を伸ばすのはほぼ親の力にかかっていると思いますが、仕事をしている母親も多い中、そこまでできる親はそういないと思います。
発達障害児の興味関心に付き合うのは、相当な時間と労力がかかりますから。それが療育や特別支援教育の中で取り入れられてくれれば、もっといい方向に行く自閉症児はたくさんいるんじゃないかなと思います。
あとは、親自身が、とにかくきちんとさせたい!普通になって欲しい!と思い詰めないで、ある程度は大らかに見られる寛容さがあればいいなと思います。
という私も正直「周りに迷惑をかけない」「恥ずかしくない」子どもでいて欲しい気持ちは当然ありますし、でも「この子の個性をつぶしたくない」「良いところを伸ばしてやりたい」気持ちとの狭間で揺れているところです。
健常でもそうなのでしょうが、発達障害児の子育ては、一段と迷いや悩みが尽きません。どうか子どもたちには、この生きにくい社会の中でも、心から楽しいと思えるものを見つけて、幸せな時間のある人生を送って欲しいです。
[参考記事]
「ADD(注意欠陥障害)のお陰で才能が開花しました」