私は発達障害

発達障害の診断が遅れ、療育を受ける機会を失う

 この記事は発達障害のお子さんを育てている30代の女性に書いていただきました。発達障害の判断が付かず、診断を受けるのを先延ばしにする内に療育を受けられる年齢を過ぎてしまった。ということはよくあることですが、どういう経緯があって、そうなってしまったのかを書いていただきました。

……………

広告

誕生から1ヶ月半検診…すべて遅れ気味

 息子は首座りも寝がえりもお座りもハイハイも、すべて遅かったです。児童館などへ連れて行き、近い月齢の子たちと遊ばせると、体は大きく成長は早いのに動きが遅くて、目立っていました。焦りや心配が無かったわけではありませんが、「個人差はあって当然だ」と楽観的に過ごしていました。

 1歳半検診で、言葉が全く出ていないこと、かんしゃくが酷くてほとんどの検査が不可能だったこと、そして一番目立っていたのが、周りが走り回っている子ばかりの中で、うちの子だけハイハイで移動していたこと、歴然とした差を感じてさすがの私も違和感を覚え個別相談をお願いしました。

 臨床心理士から言葉がけや接し方のコツなどのアドバイスがありましたが、私はそれまでの育児をただただ否定されたように受け取り、ショックだけ残って内容はほとんど覚えていません。ただ、この時には発達障害の指摘はされませんでした。

下の子の妊娠出産…息子との日々がつらかった

 健診を終わってからは自治体の保健師さんから定期的に経過を尋ねる電話が来ていましたが、「まだ何もしゃべりません」「どこへ連れて行っても泣いてしまいます」「かんしゃくがひどくてこっちもイライラします」など、マイナスのことばかりの報告をしていました。コミュニケーションが取れないので、一つのやりとりでも失敗すると大かんしゃくです。

 周りを見渡せば、たどたどしいながらも可愛い言葉でやりとりしている子たちばかり。こんなに話しかけているのに…こんなに可愛がっているのになぜ…と自己嫌悪とイライラが募る時期でした。

 さらにその頃に2人目を妊娠し、つわりが重かったのもあり息子とのやりとりはそれまで以上に苦痛ばかりになっていきました。偏食がひどくご飯を食べてくれない、着る服も決まったものじゃないと嫌がり、何を言いたいのか分からず伝わらないとかんしゃくを起こします。私がつわりのためトイレで嘔吐していても延々と続く宇宙語での要求、吐き気をこらえて外へ連れ出してもなぜか嫌がって泣き出したり逃げ出したりで訳が分からない毎日。DVDを見ているときだけ静かになったので、カーズのDVDに育児をまかせて、延々再生して1日のほとんどを終える日が増えていきました。

 妊娠後期につわりが少しずつ治まってきてやっと少し元気になり、これから息子との時間をもっと大切にしようと思った矢先に、息子の病気が分かり通院と入退院を行き来しました。そのうちに下の子の出産が来てしまい、結局息子と普通の生活が出来るようになったのは、下の子の育児が落ち着いた頃で3歳手前ぐらいだったと思います。これが後から考えると発達障害の診断が遅れる要因になってしまいました。

幼稚園探し…見学すらできない

 3歳になってもまともな言葉が出てませんでした。「ん、ん」と指をさして何かを訴えて、私が「これかな?」「おそと?」「おなかすいた?」などと代弁して、にっこりして満足するか、ギャーーとかんしゃく起こすか、でコミュニケーションを取っていました。

 毎朝毎朝「おはよう」と抱きしめていても息子は無言でしたが、3歳半のある日突然自分から「おはよう」と言いながら起きてきたとき、とても嬉しくてしばらく抱きしめていたことははっきりと覚えていて、今でも思い出すと目頭が熱くなります。ちゃんと聞こえていたんだな、伝わっていたんだなっていうことが嬉しかったです。でも、その後も単語が数個でてきたものの、コミュニケーションには程遠い状況でした。

 4月生まれだったので3歳になってから幼稚園を検討し始める時期でしたが、とにかく初めての場所や大勢が集まる場所や雰囲気が苦手で泣き出してしまう息子、説明会や見学会にまるで参加できませんでした。こんな息子でも受け入れてくれる幼稚園があるかもしれない、集団の中で生活したらもっと成長してくれるんじゃないか、そう思ってあちこちに行ってみましたが、その場にとどまることすらできず落胆の日々。

 余りの泣きわめき方にペコペコ周りに謝り、そそくさと退席して帰宅して、泣く息子を目の前に私も一緒に泣いたことも多かったです。たまに何とか最後まで参加できた幼稚園があっても、様子を見た先生から「加配が必要そうですね(苦笑)」「受けることは可能ですが…(受からないでしょうねのニュアンス)」と、やんわりとお断りの態度をされたりしました。この時には発達障害だと診断されていませんが、先生方には分かっていたのでしょうか。

一つの幼稚園との出会い…ここしかない

 その中で、たった一つの幼稚園だけ息子はニコニコして遊んで帰ったところがあったのです。その幼稚園に3年間お世話になることになるのですが、そこでは堅苦しい雰囲気での説明はなく、「〇日は幼稚園を開放しますので、都合の良い時間に遊びに来てください」とのスタンスだったのです。

 好きに見て回れるので、息子はかんしゃくを起こさず、行きたい場所に自由に行けました。そこで息子は今までにない笑顔で、園庭で泥だらけになって先生や友達と遊べました。息子もこんなに楽しく遊ぶことができるんだ、と感動したものです。余りに熱中して泥まみれになり、先生たちには洋服汚して大丈夫か心配されましたが、私は嬉しくてそれどころではありませんでした。入園を即決です。

 その後、未就園児向けのイベントでは、当然お集まりや静かに話を聞く場もあり、かんしゃくを起こすこともありましたが、先生方が一つも嫌な顔せず対応してくれ、言葉が遅いことやこだわりが強いことも相談しながら入園を決めました。同時期に3歳9ヶ月健診があり、言葉の遅れやかんしゃく等を問題視され、療育センターへの受診を薦められましたが、幼稚園に行ってみて成長を見てからでも遅くないと思い、行きませんでした。後から考えるとこの判断が発達障害の診断を遅らせ、療育を受ける機会を奪ってしまうことになったのです。

入園してから…爆発的な成長を遂げる

 巷ではスマートな切り返し方などを「神対応」なんて言葉で表現しているみたいですが、まさに私は年少の先生の対応は神様かと思いました。まず、息子の特性を考慮して、すぐ外に出られる園庭の隣のクラスに入れてくれました。

 そして、昼食時の食器の音やざわざわした雰囲気がダメで、園内で食べることを嫌がった息子に対しての対応ですが、普通なら「わがまま言わないで」と一蹴するでしょう。でも、担任の先生は机を園外に出して一緒にその場所で食べてくれたのです。その後、毎日少しずつその位置を園内に近付けて行き、6月になる頃には、みんなと机をくっつけて普通に園内で食べるようになりました。そんな息子に寄り添った接し方をしてくれた先生方のおかげで、息子は全く嫌がることなく幼稚園へ通うようになったのです。

 入園してすぐに先生の名前を覚え、「〇〇先生!」と呼んだことにも驚きましたが、数ヶ月する頃には流暢にペラペラしゃべるほど言葉が爆発的に出て、会話に全く困らなくなったのです。日に日にしゃべりだす息子に、何の魔法をかけたの?と戸惑ったぐらいです。療育センターに行かなくても成長してくれて、やっぱり不要だったんだとホッとしたものです。

年中…徐々に開きだす差、下の子の障害

 入園してすぐに言葉は周りに追いついたように見えた息子、やはり偏った部分は残っていました。運動会、発表会などを異常に嫌がりましたし、運動能力はやはりかなり遅めで何をやってもビリ、極度の怖がりで新しいことへはいちいち拒否反応を起こして先生を手こずらせていました。保育参観やそのほかの行事は、見に行くのが辛いほどで、息子本人も上手く出来ないことを分かっていて「来ないで」と言われました。

 息子が年中になった頃、3歳だった下の子の発達障害(自閉症)の診断が付き、療育へ通い始めます。息子よりも下の娘の方が発達障害(自閉症)の症状が重かったので、娘の方が先に診断が付きました。そこで発達障害の知識も自然と増えていき、息子も同様の傾向があるというのは私の中で徐々に理解していました。

年長…ごまかせない、療育センターへ

 そんな中でも先生たちは上手に息子のペースと付き合ってくれて年長になりますが、どんどん周りが社会性を身に着けていき、幼いなりに人間関係が出来ていく中で、息子は友達ができませんでした。年少の頃は先生に可愛がられてそれだけでニコニコしていたし、周りも幼く純粋で毎日楽しく過ごせていたけれど、徐々に仲が良い子や喧嘩する子、相容れない子など少しずつグループが出来ていって関係が変化する中で、息子は誰とも仲良くもなれず喧嘩もせず、表現するなら「相手にされない子」になっていました。

 年長になる頃、登園しぶりをするようになり、ある日はっきりと「僕は誰にも相手にされてない、幼稚園なんか行きたくない、みんな嫌い!」と言いました。私はかなり動揺して、そこで初めて私は療育センターに電話をかけました。この子には、やっぱり療育が必要だったのではないか?という気持ちに駆られたからです。息子にとって普通の幼稚園はハードルが高くて、今まで無理をさせてしまったのではないかと激しく後悔しました。

 でも療育センターの予約は7ケ月待ち。結果、発達障害の自閉症スペクトラムの診断が出たのは小学校入学直前の3月でした。児童発達支援を受けられるのは未就学児まで、療育の機会を大きく失ってしまったことになります。3歳9ヶ月健診のとき、診断を受けていれば…療育を受けていれば…何か違ったのかもしれません。

 息子はおそらく、素直に3歳で受診をしていれば、その時点で発達障害の診断が付いたことと思います。逆に、そのまま特に私が動かなければずっと「ちょっと変わった子」というだけで特に診断は付かないまま大きくなっていたことでしょう。診断されるのが良いとも悪いとも一概には言えないけれど、社会の中で居場所を失って自信を失っていくのであれば、早い段階で療育を受け、支援してくれる人や仲間を見つけることはとても有益なことだと思います。

[参考記事]
「3歳児健診で初めて指摘された発達障害」

モバイルバージョンを終了