私は発達障害

発達障害の私の2度の不登校と心身症。葛藤の先に見える自分らしさ

この記事は20代の女性に書いていただきました。

……..

 私は小学校4年生の時に発達障害のアスペルガー症候群と診断されました。

 自分に人と違うところがあるのかもしれないと感じるようになったのは、中学校に入ってからです。小・中・高と普通学校に通い、大学まで進学しましたが、時折人付き合いについて難しさを感じることがあります。

 今回はこの場をお借りしてアスペルガー症候群と診断された私の困り感と人生観について語らせていただきます。

広告

2度の不登校と心身症の発症

 私が不登校になったのは小学校4年生の時と、中学校生活での約2年間です。どちらも人間関係で負担を感じたことが、不登校のきっかけでした。

 私は幼い頃からあまり人と遊ぶタイプではありませんでした。普通学級でも過ごせる程度なので飛びぬけて人間関係が苦手というわけではありませんが、空気を読むという行為については不得手だった記憶があります。

 さて、小学校4年生の時のアスペルガー症候群の診断についてですが、これは専門病院にかかったことで診断を受けました。きっかけは、年齢に対して読み書き算盤など学習能力の遅れはないが、客観的にみた状況把握が周囲の子よりも苦手なのではないか、と感じた両親が私を病院に連れて行ったことでした。これは、両親が学校教諭で新しく話題になっていた発達障害について知っていたことが大きいと思います。

 アスペルガー症候群という診断を受けた私ですが、当時は少し人付き合いが苦手かもしれないという説明を受けた気がします。ですが、気持ちが落ち着き学校に行き始めてからは特に問題を感じることもなく楽しく、時にトラブルを経験しながら小学校生活を送っていました。

 そして新しい生活への期待と不安を胸に進学した中学校で、私はコミュニケーションの壁にぶつかります。合理的ではない学年間の暗黙のルール設定や(靴下は短いもの!ジャージのチャックは指3本分あげろ!などなど…)人間関係の微妙な力関係についてです。

 周りの人たちは上手く先輩方と付き合ったり、同輩間で情報を交換し付き合ったり、中学生という難しい時期の社会生活に適応していました。しかし私はこういった『空気を読む』という行為が苦手です。あれよあれよという間に周囲から浮きはじめ、気づいたときには少しクラスに居づらい状態になっていました。そして第2次不登校の始まりです。

 この時は、周囲の人たちとどのようなコミュニケーションをとったらよいのか分からなくなり、人と会うことさえ怖くなりました。漠然とした不安感を四六時中感じるようになり、やがて吐き気や血圧の低下など体調不良に変わっていきます。これは今から考えると発達障害による二次障害の影響だと思われます。

 この頃から、内科、発達支援の専門家、精神科などの病院を6つほど転々としました。病院で言われたことは、身体的にどこにも異常はないので気持ちの問題だろう、です。

 日々の体調不良から自力で歩くこともできなくなり、車椅子で来院した人間にどこも悪くないというのが適切な診断かどうかはわかりませんが。あまりの不安感に漠然と死にたいと思うこともありました。

 その後、最後にかかった精神科では、未成年ということで軽い精神安定剤を服用してもらいました。やがて、身体的な不調と不安感は落ち着き、中学校に通うこともできるようになりました。私個人の感覚として病院の診断と私のその時の状態には齟齬(くい違い)があったと感じています。それは先ほども書いたように発達障害による二次障害の影響が大きいと思っているからです。

 どのようにすれば良かったのかは分かりませんが、とにかく病院では私の状態を診断できず、「厄介な人」扱いでした。

私を支えてくれた周囲の理解

 この2度の不登校を乗り越えられたのは、家族の支えがあったからです。私が生まれてから家族は、アスペルガー症候群の診断を受けても変わることなく愛情を注いでくれました。

 今私が不安感を乗り越え大学に通えているのは、私が学校に行けない時、体調が悪い時も傍に寄り添い、いくつもの病院に連れて行ってくれた家族のおかげです。

 精神安定剤の服薬は高校2年生の時まで続きました。高校・大学での同級生との付き合いは、周囲がある程度どんな人間でも受け入れてくれる状態だったので、楽しく通うことができました。

 そして学校の先生方にも不登校という形でご迷惑をお掛けしましたが、根気よく私が学校に来れる状態になるまで待っていただき、その後の進学でもお世話になりました。

 恋愛については自分が相手を支えられるビジョンが持てないので、現段階でしてみたいとは思いませんし、もちろん結婚願望もありません。しかし、人間が嫌いというわけではないのです。いつか、友達という形にしろ伴侶という方地にしろ、心から信頼し合える理解者が欲しいとは思っています。

普通とは何か~葛藤の先に見える自分らしさ~

 私は今、一般就労を目指して就職活動を行っています。大学生活の中で特に大きな困り感を感じることは、ほとんどありません。

 一方で、実習やアルバイトなどを行う時には、自分の要領の悪さやコミュニケーションへの不安感などを強く感じることがあります。

 気にすることないよと言われる一方で、こんなこともできないの?と言われることもあり、きちんと働いていけるのか不安になるのです。これは結局自分で乗り越えていかなければいけない問題です。

 「普通」でありたい、普通になりたいと思っていたのは、普通という基準に当てはまれば苦しいことが無くなると思っていたからです。

 しかし、これまで様々な人を見た中で分かったことがあります。生きていれば、辛いこと、悲しいこと、苦しいことは必ずあるということです。発達障害者だけが特別に苦しんでいる訳ではないのです。私は、そのことをちゃんと理解し、困難に1つずつ対処していける人間になりたいと思います。

 そして、生きていく中で、これまでに家族や周囲の人々から与えられた愛情や恩を次の世代に繋いでいくことが私を育ててくれた社会全体への恩返しだと思っています。

[参考記事]
「自閉症スペクトラム障害の娘の問題行動とそれについての対応」

モバイルバージョンを終了