この記事は発達障害の娘さんを育てている30代の女性に書いていただきました。
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生まれてからの違和感
娘は、乳幼児の頃から、かんしゃくの強い子でした。ベビーカーやチャイルドシートに乗る際は、ベルトに固定されるのが嫌で、長時間声を張り上げて泣いていました。第一子だったので、他の子を知らず比べようがなかったのですが、ちょっと何か他の子とは違うのかなとは、思いました。
つかまり立ちを始め、自分で歩けるようになった頃から、よく言えば好奇心旺盛でした。抱っこも手つなぎも嫌がります。自分の興味のある所に糸の切れた凧のように、一目散に走っていってしまいます。今から思えば、きっとあれは発達障害(ADHD)による多動だったんでしょう。当時の私は、交通事故から娘の命をどうやって守ろうかと必死でした。その為に、まだ幼い娘を大声で制止するために怒鳴って、娘と一緒に泣いた日々でした
市の1歳半健診にて訴える
その時住んでいた都市の1歳半健診に行きました。その頃には、常に一緒にいる私は、娘の違和感に気付き、なんとか助けてほしいとすがる思いで、保健師さんに相談しました。その後、別室にて個別に臨床心理士さんの面談が娘と行われたのです。
そして、その臨床心理士さんが言った言葉がその後の私を苦しめました。娘の遊んでいる様子を一通り見て、私の話をヒアリングした後、その臨床心理士さんは『お母さんがもうちょっと頑張りましょう、幼稚園に入る頃には落ち着きますよ。みんなこんなもんです。お母さんあと少し頑張りましょう!』と言ったのです。
この言葉によって私は、『あぁ、私の我慢が足りないんだ、みんな同じくらい大変なんだ。私がもっと頑張らなければ』という自分の不甲斐なさを知らされることになったのです。そして、やっぱり自分の育て方が悪かったんだと自己嫌悪に陥り、母親である私はノイローゼになりました。
行政に助けを求めるも・・・たらい回しに
健診後の生活は、毎日騙し騙しというか、その日暮らしというか、毎日その日一日を娘と生きるのが精一杯でした。そういう生活は幼稚園卒園するまで続きました。
少し重い話になりますが、娘を置いて逃げようとか、娘を殺して自分も死のうとか、一緒に身投げしようとかまで考えるほど、追いつめられてました。近くに親も友人も居なかったので危険を感じた私は、恥を忍んで行政に相談することにしました。
まずは児童相談所に電話をしました。もう話していると苦しくて涙があふれ出て、上手く話すことも出来ませんでした。しかし、児童相談所の職員は、管轄が違う、市役所に電話するようにということで、対応してもらえませんでした。今まさに、子供をどうにかしてしまいそうで助けてほしいという悲鳴は職員には届きませんでした。
教えられた市役所に電話し相談するも、『お母さん、辛かったですね、頑張ってますね』などという、一番何の解決にもならない慰めを貰い、●月●日に〇〇保育園で少し発達の気になるお子さんのお教室を開催しますのでよかったら来てくださいね』というアナウンスを貰っただけでした。
私は、自分の手で娘に危害を加えるのを避けるために、娘を守るために何とかして行政に助てもらいたかったのですが、結局は何もなりませんでした。その後も、同じ県内の他の児童相談所や、県の発達障害の機関の相談もしましたが、やはり帰ってくる言葉は、『お住いの市役所に連絡してください』ということでした。その時の私は、そうやってたらい回しにされたことに憤りを感じていました。
今でもよくニュースで目にします。母親が子供を殺してしまったり、一緒に自殺してしまったりという悲しい話を。そして、後から分かったのだが、母親は市に相談してたとか、児童相談所に連絡があったとか・・・。皆、SOSを出してるんですよ、この子を助けて!私を助けて!と。
娘の異常行動で児童精神科を受診して
家庭の事情で娘と私は、私の生まれ故郷にて生活をすることになりました。そこで私の母・祖母と共に生活していくと娘は前以上に問題行動が多く、激しくなり、幼稚園を不登校、家族に暴力や罵声を浴びせるようになりました。これは、発達障害からのものなのか、環境が変わったせいで心が乱れてしまったのかは、分かりません。
ただ、日常生活を送れないような状況になったので、その故郷の市役所に相談、そちらでもあっちで相談してみて、こっちでとのことで、児童相談所でもうまく取り次いでもらえないという、状況でした。本当に目の前に心中という言葉がちらついた時に、ダメ元でその町にあった、国立病院の児童精神科の相談センターに電話をしました。思った通り、予約は半年ほど先でした。ただ、その数日後に、「緊急性がある」ということで、キャンセルがあった枠で受診していただけることになりました。
今までも何度となく小児科などで、発達の相談をしたのですが、医師には「お母さん、この位で大変なんて言っては困るねぇ、この位の子供は普通だよ、もっとお母さんは頑張らないと」と言われていました。しかし、国立病院の先生は娘を一目見て、発達障害の可能性はかなり高い確率でありますね、と言いました。この言葉で一つ道が開けたような気がしました。あぁ、やっぱりそうなんだ、そうと分かれば、早くこの子に適切な対応をしなければ、という気持ちに切り替えることが出来ました。
その先生には娘の事を理解してもらえたのですが、またその後引越ししなければならなかったので、続いての受診が出来ず一度のみの受診だったのですが、先生からは越した先の病院で出来るだけ早く発達検査を受けるようにと指示がありました。
小学校に入学して
新しく居を構えた土地で小学校を入学しましたが、入学式から不登校です。また新しい土地で市と児童相談所に相談しました。すると、児童相談所は対応できないとのことです。
関東在住なので、都内の大きな病院の精神科にもかかりましたが、前述した先生のような気付きはなく、私の悩み相談のような形で終わってしまいました。医師との相性や発達障害に対する知識の差もあるんでしょう。娘は見た感じ明らかに発達に問題がある、という様子がなかなか見受けられないので、一見診ただけでは中々分かってもらえないのが現実です。
今現在は、病院の受診もストップして(やっと通えるようになった学校を休んでまで、行く意味が見いだせないので)、市の教育センターに時々通っているだけです。このままでいいのかという不安も心配もあります。かなり高額ですが民間の療育施設に通うことも検討しています。また放課後等デイサービスも検討しています。
きっと娘は、ADHDのグレーゾーンです。1歳半健診、3歳健診、数件の小児科などでずっと訴えてきた違和感を否定されて、行政に置き去りにされましたが、あの時諦めずに娘の違和感をもっと訴えていたらよかった、と後悔することもあります。
よく発達障害は個性だ、という言葉を耳にしますが、発達障害と診断されたのであれば障害と認識して、早めの療育を受けた方が子供の為であるのではないかと思います。