私は発達障害

ADHDの私と喧嘩にならない夫の対応について

この記事は30代の女性に書いていただきました。

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 ADHDを持つほとんどの人が、日々罪悪感と戦っています。「どんなに遅れまいと思っていようが、なぜか遅刻してしまう。」「締め切り日までに課題が終わらない」「自分が損をすると分かっているのに、大事な締め切りを逃してしまう。」「集中している時に話しかけられると邪険にしてしまう。」など日常茶飯事ですが、自分でも理由が良く分からないのできちんとしたいい訳もできません。

 友人などにはへらへらと「ごめーん!」なんて適当なキャラを演じている事が殆どだと思います。課題の締め切りなら、(本当はただ取り掛かれていないだけなのに)病気などのそれっぽい理由をつけて期限を延ばしてもらう事もありました。

 友人・教授相手ならそれでなんとか切り抜けられますが、毎日一緒にいる家族となると、相手の負担も相当だと思います。私の夫は、私がADHDと気付いた時、一番辛かった時期に支えてくれ、その後で結婚した今でも、私の日々の罪悪感を笑い飛ばしてくれるとても大切な存在です。

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ADHDに気付き、うつも併発していた頃

 私は不注意優勢型のADHDで、多動がなかったのと要領が良かった為か自分の障害に気付くのがとても遅かったです。ただの怠け癖だと思っていました。ですが大学時代本気で頑張ろうと思っているのに失敗が続いた時、ようやく「自分は普通じゃない」とADHDである事に気が付きました。他の人とはつまずいているポイントが明らかに違ったのです。

 大学入学前にADHDに気付けていれば、もっと生徒個人に寄り添ってくれる少人数制の大学に行ったのですが、通っていたのはマンモス校。締め切り厳守・個人の事情などは考慮されません。自分なりに死ぬほど頑張っているのに成果が出ない状態が続き、さばききれないタスクと退学一歩手前のプレッシャーに身動きが取れず、うつ病まで発症して「死にたい」ではなく無意識に「どうやって死のうか」と考えていた程危ない状態でした。

 そんな時に私を支えてくれたのが、当時同棲していた私の夫です。

当時同棲中の夫の懐の広さ

 不安定だった私は不安を夫にぶつけていましたが、夫は「大丈夫だよ、君なら出来る。君は頭がいいんだから。」と私の能力を私以上に信じて応援してくれていました。大学から落ちこぼれ扱いされて、自分でも自信を無くしていた当時、とても救われたのを覚えています。

 そして、精神面以外でも夫は私を全力で支えてくれました。マルチタスクが苦手な私のようなADHD持ちは、一つの事に集中すると回りが見えません。また、やりたくない事をやっている時に自分の集中を維持するのが本当に至難の業です。そこで、大学最後の1年はもう「大学に行くためだけに生きている」状態でした。当然夫との会話やデートなど殆どないですし、夜の方が雑音が少なくはかどるので昼夜逆転して課題に取り組むなんてしょっちゅうでした。課題が進まずイライラしてしまう事も多かったです。

 当時を振り返ってみても、どうして私を捨てずにいてくれたのか、夫には頭が上がらないです。

結婚してからも、毎日伸び伸び暮らせているのは夫と一緒だから

 冒頭でも書いたように、ADHDの人の多くは、自分の性格や行動に罪悪感を抱えています。

 何かに集中している時に邪魔をされると必要以上にケンカ腰になってしまう時など、自分でも何故そんなに怒ってしまうのか、頭の中は「??」です。実家にいた頃は、集中している時に邪魔しないで欲しい私と、何か用事を言いつけたらすぐ動いて欲しい母とで水と油のような関係でした。

 喧嘩腰になってしまう私に母はさらにヒートアップ。売り言葉に買い言葉です。後で母に謝っても理解してもらえず、当然お小遣いはナシになるダブルパンチで辛かったです。

 夫はと言うと、話しかけられた時に私がキツい反応をしても、「(笑いながら)タイミング悪かったか、ごめん」と言ってささっと逃げてくれるので喧嘩には発展した事がありません。申し訳ないなと思って後で謝りに行きますが、まったく気にしていないようです。

 出かける時に私がのろのろ準備をしていても気にしないし、時間制限がある時は定期的に様子を見に来て、私を上手く急かしてくれます。

 もちろん夫の寛大さに甘えてばかりではいけませんが、相手が私の悪い部分を気にしないでくれるだけでこんなに生きるのが楽なのか、と穏やかな日々を送りながら夫の存在の大きさを実感しています。

[参考記事]
「ADHDの私は仕事でのミスが多く怒られてばかり。鬱病になりました」

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