私は発達障害

就職しても続かない発達障害の私。上司の指示が理解できない

 この記事は30代の女性に書いていただきました。発達障害を抱える人にとっては就職して仕事を続けることは大変なことです。

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 4年前に発達障害(ADHD)の診断を受けました。今にして思えば、幼い頃からたくさんの人がいる場所や、協力して何かをやり遂げることが苦手で、怖いものや苦手なものがとにかく多かった気がします。

 私が幼い頃は、発達障害という言葉が今ほどメジャーではなかったので、私は大人になるまで協調性のない気むずかしい子だと見られていたのだと思います。

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音や匂いに敏感で、団体行動が苦手な学生時代

 例えば隣のクラスの騒ぎ声、デパートの化粧品売り場、社会科見学で行った工場のオイルの匂い…挙げるときりがないのですが、そういうふとした瞬間の音や匂いに反応してパニックを起こす子供でした。特に酷かったのは小学生の頃で、音や匂いに耐えられなくなると大泣きして過呼吸を起こしたり、周りも見ずに走って逃げ出したりしていました。周りの人がなぜ平気なのか、疑問に思っていた程です。今であれば発達障害の人に多い「感覚過敏」で起こっていると分かるのですが、当時は意味が分かりませんでした。

 また人数の多いグループや、運動会、卒業式などのイベントも苦手で、集団行動が取れずサボったり、列から外れて隅の方で勝手な行動をしたりしていました。先生に注意されると反省はするのですが、次の瞬間には別のところに興味が移ってしまうのです。これがADHDの「不注意性」のせいなのかは分かりません。学生時代、周りの同級生たちは私を不思議ちゃんとか、天然と呼んでいました。友達と遊んだりするより、一人で好きなことをしている方が好きだったのですが、構ってくれる友人は多かったと思います。

 独特のこだわりがある一方で、座学は大の得意です。好きな科目だと、学校の授業では習わないような細かい所まで興味を持って調べていました。また絵を描くことも好きで、食事も忘れていつまでも描いていることもしょっちゅうでした。両親は幼い私に随分手を焼いたようですが、ある意味天才肌なのかもと、発達障害などは疑いもしなかったそうです。

就職するが上手く行かず、発達障害と診断される

 学生時代、それなりに仲良くしていた友人はいました。今思えば「人付き合いが少し苦手かも」という場面はあるのですが、それでも就職して社会に出るまでコミュニケーションが苦手だという意識はありませんでした。

 しかし就職してすぐに、上司の指示や、お客様の要望がきちんと理解出来ない自分に気付きました。日常会話とは違って、仕事の話は「〇〇をやって、△△をやり、時間があれば✖✖」と順番があったりするので、その流れを把握するのができないのです。上司には「何回も聞くな」と怒られました。これはADHDの性質と言ってしまえばそれまでですが。それでも何とか誤魔化して頑張ったのですが、結局ついて行けなくなり、ある朝急に玄関を出ることが出来なくなりました。

 うつ病だと診断されて退職し、別の会社に就職するも結局同じような状況に陥りまた退職する、の繰り返しを5年続けました。会話の返答が少しずれていると指摘されたのもこの頃です。今まで普通にやってきたつもりだったので、自分はどうして仕事が続かないのか、何がおかしいのかと、ずいぶん悩んで苦しみました。

 丁度その頃、やっと発達障害という言葉がメディアで頻繁に取り上げられていました。まさかと思いセルフチェックをしてみたら見事に当てはまっていたので、改めて専門の病院を訪れてみたらADHDだと診断されました。医師には「まず気持ちの落ち込みを改善して、それから徐々にどう向き合うかを探して行きましょう」と言われました。診断を受けてほっとした反面、これからどうしようと不安にもなったことを覚えています。

その後もささいなことで潰れる日々

 発達障害の診断は受けたものの、すぐに状況が変わる訳でもなく、自分に出来る仕事も分からないままその後も同じような日々を過ごしています。仕事も相変わらず、辞めては転職して、を繰り返しています。どうしても就職が続きません。

 私はADHDと診断されたものの、比較的軽い部類に入るのではないかと思っています。難しい指示や状況判断は苦手ですが、初対面の人とある程度のコミュニケーションを取ることは出来ます。音や匂いに対する感覚過敏は、昔の様にパニックになるような事態は避けられています。

 中途半端な自分の状態で、どうやってこの先を生きて行けば良いのかと悩み、それだけで不安定になって動けなくなる時期が、今でも定期的に訪れます。

現在は出来ることを前向きに

 いろいろと悩んで落ち込むこともありますが、今は少しずつ前に進むように努力しています。出来ること出来ないことを自分で理解し、出来ないことは無理して頑張るのではなく、誰かにお願いするようにしています。苦しい時や落ち込んだ時は、迷わずに休みます。「私は発達障害があるから」と諦めてしまうのではなく、上手く付き合っていくことが重要なのかな、と最近はそう思えるようになりました。

[参考記事]
「ADHDの性質により仕事が続かず就労支援施設で働いています」

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