この記事は20代の女性に書いていただきました。
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私は25歳の女性です。私が他の人と何か違うと思い始めたのは小学校入学時でした。まず、特定の友達ができない。というのも、幼稚園卒業と同時に父の転勤で遠くから引っ越してきたため、幼稚園時代からの友達がおらず。周りはすでに就学前からの友達がいたのでなおさら友達ができませんでした。
初めはそれでも仕方なかったのかもしれませんが、周りの子からはなんだか「異質な子扱い」をされていたように感じました。小学生なので表面上のことですが、給食エプロンや傘など(のメーカー)が周りのお友達と違うとか、そんなものです。
それ以外でも何か異質な扱いを受けていましたが、その理由は今から思うと私の発達障害の性質をお友達が嫌っていたからだと思います。具体的に何が嫌われていたのかは未だに分かりません。
とにかく友達ができず、学校の成績も普通科目以外の図工や体育はまさに「何をやってもだめ」。発達障害の人は運動音痴だったり、不器用だったりしますが、私も例外にもれずそうでした。母からも「あんたは何をやってもだめ」と成人した今でも言われ続けています。
この「他の人と何か違う」というのは成人した今でも感じています。具体的に何が違うのかは未だに分かりません。
社会人になれない私
その「他の人と何か違う」という感覚は企業の人事の方も感じ取ったのでしょう。大学卒業前、人よりも早くから必死に就職活動をしたにもかかわらず、内定を取ることができませんでした。
受けた企業は、80社を超えていたのではないかと思います。書類選考を通ってもだいたい一次面接かグループディスカッションで落ちてしまいました。
特にグループディスカッションが苦手でした。他の方と同じようにできない、足並みをそろえることができない。きっと、人事の方もすぐに分かったことと思います。
当時就職氷河期だったとはいえ、大学時に授業に出席せず、遊んでいたような同級生が内定を手にしていった姿を見て悔しかったのと同時に、「どうして自分は何をしてもだめなんだろう、みんなと同じようにできないんだろう・・・」と思っていたのを未だに覚えています。
追い打ちをかけるように、母の「やっぱりあんたは駄目。大学まで行って就職もできないの?」などの罵詈雑言がさらに精神的にこたえました。結局、大学を卒業してから定職に就くまでに約3年かかりました。
その3年間、非正規雇用として企業を転々としたり、やっと正社員になった会社も試用期間にて解雇されたりと能力と仕事に恵まれない期間が続きました。
いばらの道を歩いた3年間
大学を卒業してから就職活動を再開しましたが、企業には相手にされず。やむなく始めた派遣の仕事と同時並行で行なった就職活動で正社員の仕事を手にしましたが、試用期間にて解雇され、再び無職となりました。
この時点で大学を卒業してから1年半。新卒で就職できなかったり、途中で退職してしまった同級生たちも定職を手にし、それぞれの道を歩み始めていました。中には結婚して家庭を持っている友人も出てきました。
思えば、大学時代の早くから将来を考え、就職活動という行動に移してきたはずなのに自分だけ何も得られぬ1年半。どうして自分はこんなにもだめなのか。生きていて良いのか。世の中には自分よりも能力があるのに病気で生きられない人がたくさんいる。その人たちに命を譲ってしまった方が良いのではないか、そんなことを考えるようになってしまいました。
他の人と違う理由
定職に就く前の一年間は金融業にてパートタイマーの仕事をしていました。元々興味のあった金融業にて就業をし、仕事にやりがいは感じていた一方、細かなミスを連発し、度重なる注意を受けてしまっていました。
周りは社会人経験の長い主婦の方ばかりなので、精神的にもスキル的にも成熟した人ばかり。つまらぬミスを連発する人はいないのでなおさら目立ってしまいました。金融業なのでミスは許されない業界。他の会社で解雇された経験のある私は「解雇」が常に頭の中から離れず、不安でいっぱいになってしまいました。
そのころ、世間では「発達障害」という障害が話題になり、ネット記事に多く出るようになりました。仕事ができなかったり、これまで生きづらさを感じてきた大人たちが「大人の発達障害」と診断されたという記事を何度か目にしました。
そしてその頃、仕事を首になり、自信を失った友人が発達障害の診断を受けたいと言い出したため、一緒について行くことにしました。
結果は、友人は正常で、私はADHDの疑いがあるとのこと。やはり自分は「普通の人とは違う」ということが判明し、ショックだったのを未だに覚えています。
この時に言われたことは、「自身がADHDである疑いがわかったのだから、自分の特性を把握し、対策をすれば問題ない。普通に働いている人はたくさんいるのだから、悲観的になることはない」と言われました。
しかし、それでも原因不明のミスは改善されず、なす術もないので、「コンサータ」という薬を処方していただくことになりました。診断結果は、一緒に受診した友人以外は誰にも話していません。現在は誰にも内緒でクリニックに通っています。
ついに正社員に。しかし・・・
ADHD診断から半年後、猛烈な就職活動の結果、ついに動正社員の座を手にすることができました。就職先は、パート先とは正反対の零細企業。
社内では最年少で、何の経験もない私に社長は様々な仕事を任せてくれ、また、周りの先輩や同僚の方も支えてくださり、人に恵まれたこともあってやりがいを感じていました。コンサータのおかげか、原因不明なミスなどはなく、無事に試用期間も終えることができました。
しかし、そのころからコンサータの副作用に悩まされました。服用していたのは最大の36mg。通院するたびに量を増やされていたのです。それが原因だったのか、食欲不振、不眠が同時にきて、ストレス性の難聴にかかってしまいました。
クリニックの先生に相談すると、「補聴器をして何とか気持ちをコントロールして。耐えられなかったら環境を変えるよう(転職する)ように」というのが答えでした。
これを機にコンサータと通院をやめました。それから約1年半後、いつの間にか仕事の段取りも分からないときがあったり、原因不明のミスを連発するようになっていて、社長から解雇宣告が出てしまったのです。
絶望からの復活
その際の社長との面談では年度末まで様子をみるとのことでした。
今の会社を解雇されては雇ってもらえるところがありません。残留を懸けて別のクリニックに予約を取りました。すると、このクリニックは当たりでした。これまでの経緯をすべて聞いてくださり、その内容から、ADHDとは限らず、広汎性発達障害の疑いも指摘してくださいました。
個人クリニックなのではっきりとして病名は分からないが、コンサータを処方して様子を見ましょうとのこと。ただし、最少の18mgから量は増やさず、継続的に服用できるように、と言ってくださり、現在もこちらにてお世話になっています。
通院は月1ペースで、診察の際はこの1ヶ月間の変化や薬の効果(本人の所感)、仕事のこと、最近気になることなどを聞いてくださり、そのうえで処方する薬や分量を決めていただいています。初めのクリックよりも時間をかけて丁寧に診察してくださり、薬の処方も慎重なので私には合っていると思います。
周りの方に支えていただきながら勤続3年を迎えようとしていますが、薬がなくても上手く仕事ができるようにと願って止みません。