私は発達障害

発達障害児の「遊び」の特徴。ルールが理解できないなど

この記事は50代の女性に書いていただきました。

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 現在五十歳になる私が幼少の時には、今よりもさらに「発達障害」に対する周囲の認識や理解が希薄でした。

 私はとにかく大人から「我儘な子ども」と見做されて、今思うとどう考えても理不尽な叱られ方をされ、小言を頻繁に言われた気がします。

 ともあれ、当時の私には知的な遅れが認められていたという部分を差し引いても、私の遊び方というのか、興味の方向性が、今思えば他の子どもよりは随分「ズレ」ていたのかも知れません。

 その辺りのことを想い起こしながら、発達障害児の遊びの特徴や、そこから子ども時代の私が何を学び、成人後の今の日常生活にどのように反映させているのかということについて考えてみたいと思います。

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役割分担が理解できないせいでつらかったおままごと

 子どもの頃の私は現在以上に場の空気や言語化されていない暗黙のルールというものを理解することが非常に苦手でした。

 女の子だということで、小さい時にはおままごとに参加することが多くありましたが、一人でおもちゃの包丁で雑草を刻んで料理を作る真似をすることはできても、集団としてのおままごと遊びに入るのは苦手で、苦痛でパニックに陥ることが頻繁でした。

 話が脱線しますが、現在以上に言葉を用いて自分の感情を表現するのが極めて下手だった幼児期~思春期の私は、本当に些細なことでパニックを起こし、養育者や教師も手を付けられないほどでした。

 その頃にはすでに「自閉的傾向を持つ」情緒障害児(昭和50年代当時は発達障害児をこのように呼んでいました)と診断されていた私ではありました。

 だからといって、周囲の大人が子どもの時の私の扱い方を理解していたのかといえば決してそうではなく、私はどこに行っても「子どもらしい元気さや明るさに欠ける我儘で育てにくい子」としか評されませんでした。

 そのネガティブな評価は子どもの時の私の心に暗い影を落とし、成人以降もずっと私を苦しめ続ける結果となりました。

 ともあれ、ごっこ遊びのなかで誰それが何の役であり、役柄に相応しい行動を取るというルールが私には皆無といっていいほど理解できていませんでした。

 そのため、私が参加しているごっこ遊びはおままごとに限らず、お姫様ごっこでも流行っていたテレビドラマを反映させたバレリーナごっこでも「私が参加している」という理由だけで混乱を極め「だから○○ちゃんが入るのイヤなんだよね」と、他の女子児童から白い目で見られがちでした。しかし、反感を買われる原因すら当時の私にはわかっていませんでした。

遊びのルール自体が理解できない発達障害児

 ただ、反感を買うんだということと、自分には赤ちゃんの役だとかペットの役だとか、そういう「端役」しか務まらないという部分だけは理解できていました。

 いつもセリフすらない「赤ちゃん」とか「犬」とか、そういった役しかやりたがらない私に対して、大人はこの子は将来どうなるんだろうねえとイヤミしか言わないため、そのテのごっこ遊び自体参加する気が失せました。周りの子は小学校高学年までそのような遊びをブラッシュアップさせては楽しんでいましたが、私自身はおままごとやお姫様ごっこを低学年のうちに「卒業」してしまいました。

 同様の理由で「けいどろ」と呼ばれる鬼ごっこなども苦手でした。私には遊びのルールが理解できないのです。

 単なる鬼ごっこなら逃げるだけなので私でも大丈夫なのですが、そこにルールが入ってくると、私にはもう何がなんだか理解できなくて、たちまちのうちに遊びとして成立させられなくなってしまいます。

身体を使うこと、運動遊びが苦手だった理由

 子ども時代の私は身体を使っての運動遊びが非常に苦手でした。

 保育原理のテキストに出てくる表現を真似るとすれば「目と手の呼応が悪い」子どもでした。人がやっているのを見て、真似してみるのですが、手、あるいは身体を反応させることができません。

 例えば登り棒には当たり前に登れる私も、しかし雲梯は幾ら練習してもできませんでした。右手と左手とを交互に前に出すということが頭では理解できても身体が分かっていないのです。本当にひとつ前にも進めないお粗末さでした。

 仕方ないので、他の子が雲梯を手で進む時、高い場所に対する恐怖感が希薄だった子ども時代の私は、雲梯の上を歩いて進むことに決めていました。周囲は「バカとサルは高いところを好む」と私について貶していました。

 今「イジメの原因に繋がる」ので小学校の体育では禁止しようという動きのあるドッチボールも、動きが元から鈍い上に、背中を敵に向ければボールをぶつけられるというルールが理解できていないので、よくターゲットにされる私でした。

 それこそ大人が私について「○○ちゃんは変な子、ダメな子」と連呼する如く口にするので、高学年になってからは本当にイジメの一環として、下腹部辺りを狙ってボールをぶつけられ、ちょうど生理中で出血がひどくなったまま止まらなくなった私は、保健室の先生と病院受診に至った記憶もあります。

 全体的に身体のバランスを保つのが苦手だったせいか、私は自転車も小学校5年生になるまで乗れませんでした。

発達障害の人は美術が苦手?

 身体を滑らかにうまく動かすというのが苦手だった私は、ピアノを弾いたりダンスを踊ったりするのも上手くなかったです。絵を描いたり工作をしたり、家庭科の課題をこなすのも上手くはありませんでした。

 工作というのはもとから苦手意識いっぱいでした。ハサミを使う、糊付けするなどの基本的な動作がどうしても他の子どものようにはできず、どんなにがんばっても常に私の工作の成績は最下位でした。

 詳しくは後述しますが、絵がそこそこ巧かったおかげで、私は小学校の図画工作や美術は「3」を保てていた感じでした。

 何だか…全てにおいてできることとできないことの落差が大きすぎる点も、当時から私にとっては深刻な悩みであり、低い自己評価の原因となっていました。

 家庭科の課題についても途中まではよかったのですが、ミシンをうまく使えずにその時点で挫折してしまった私は、家庭科の女の先生のことが大嫌いで、以来もう裁縫や編み物というのは自分にはできない作業なのだというように思い込んでしまった感があります。

 絵についてはある時期までは「あたしは絵が得意なのだ」と信じ切っていた部分があり、それだけでかなり長い間ハマっていたような気がします。

 ただ、紙(画用紙やラクガキしているノート)と机との空間が殆んど理解できないので、私の絵は常に画面からはみ出していて、机や画板にまで描かれてしまっており、大人はそんな私に対して「この子はバカだね…」といつも苦言を呈していました。

 結局私よりもプロ画家の実母や伯母、大学生の頃に有名漫画家のアシスタントを務めていた実姉のほうが余程絵が巧いのだという現実を知った思春期以降、私は単なる美術部の「幽霊部員」にシフトチェンジ、以降絵筆を取ることはありませんでした。

 今も一般の方よりはうまく絵が描けるのではないかと思いますが、私はもうラクガキ程度しかできないのだと悟って、他人様の前で作品を晒すのは控えるようにしています。

ピアノを通じて苦手感を克服した経験

 ピアノについては私にとって唯一長く続いた遊びであり、趣味です。しかし、その練習や曲が弾けるようになるまでのプロセスがだいぶん他の人とは異なっているのも事実です。

 例えば、他の子が一ヶ月で仕上げるピアノの練習曲を、私は三ヶ月くらい掛けないと弾けるようにならないので、レッスンをつけてくださる先生が「○○ちゃんは本当に下手ねえ」とよくこぼしていらっしゃいました。

 思えば発達障害特有の「空間把握の障害」によって横書きのものが読めず、ゆえに音譜の意味は理解できても楽譜が読めないことも影響したのかも知れませんが、とにかくマスターするのに時間がかかりました。

 さらにいえば、暗譜できても滑らかに演奏できません。手指が考えるように動かないのです。だからこそ、結果的に私は他人の何倍も練習を強いられることになりました。

 しかし、それが元来の勝ち気で負けず嫌いな私の性格によくあっていたらしく、ピアノは成人後の今も私の趣味のひとつになりました。

 蛇足ながら、趣味が高じて、我流の演奏であろうとコンクールで他の皆さんと競いたいという方向に至った成人後の今、私は今般とあるピアノコンクールを見事?勝ち進み、現在関東大会を目前に控えて一日数時間練習に充てる生活を送っています。

集中するとハマり過ぎる、失敗を懲りない

 若い頃の私は芸能人御用達学校に通学していた関係もあり、ダンスのレッスンも受けていましたが、そのじつ私はダンスも本当にお粗末、とても苦手でした。

 周りのみんなが二、三時間でマスターし終える振付が、しかし私には覚えるまで二週間くらいかかるというひどいレベルでした。

 他の子は「こんなの(振付)見てるだけですぐに頭に入ってくるよね…」とか口々に言うのですが、私にはそれが本当に信じられない世界の話でしかありませんでした。

 先に挙げたようにもとから異様に勝気な性格なので、他の人に出来てなぜあたしにはできないの!というノリで寝る間も惜しんで研究し、それでようやく覚えられる感じでした。

 もともとの性格傾向も影響しているのかも知れませんが、一度没頭し始めると、時間を忘れて練習に没頭する点も特徴的でした。言い換えるならば一旦集中し始めると、食事も寝るのも全て忘れるほどハマります。そういう行動パターンは、五十歳になった今も顕著に私に現れます。

 そのせいか物事に優先順位をつけるのがやや苦手です。優先順位というのが今やらなければならないタスクから先に、というのではなくむしろ「私がやりたいこと」から優先してしまいがちなきらいがあり、それでしばしば失敗してしまいます。

 しかも、幾ら失敗しても堪えません。それを皆「学習能力がないね」というふうに評価するのですが、失敗が余り痛くないというほうがどちらかというと自身の感覚に近い気もしています。

基本的に一人遊びが好き

 私は基本的に一人で楽しめるような遊びが好きです。それは子どもの頃も大人になった今も変わりません。ただし、一人遊びとはいっても皆さんが夢中になるゲームが全く面白いと思えません。興味も一切湧きません。

 ゲームを始めると、私はすぐに自分の気持ちというか、自由な工夫を凝らす余地がないように感じられて息苦しくなってしまいます。自分を抑えつけられる感覚にも似て、本当につらくなってしまうのです。

 世代的にちょうどテレビゲーム、そしてゲームセンターでのアーケードゲームを経てコンピュータゲームといったものが日常生活に入り込んできた私です。私が高校生の頃、ファミコンも登場し、同級生も皆夢中になっていました。

 私が二十歳の時に結婚した同世代の元夫は、職場で不祥事を起こして退職して以来、延々出始めのスーパーファミコンで遊んでいて、気に入らなければゲームソフトを妻である私に投げつけては、額に命中し青タンをこさえていた記憶しか私にはありません。

 そのような苦い記憶を差し引いたとしても、私にはその手の遊びの面白さが本当に理解できませんでした。どうしてこんなに「不自由な(自身の感情や感覚の入る余地もない)」遊びが面白いのだろうと、その頃から私はずっと思っていました。

 時代は移り変わり、今はパソコンでの課金ゲームから、さらにはスマホのアプリを利用したゲーム…と変化しつつあるのでしょうが、いずれにしても未だに興味というのが湧いては来ません。

発達障害当事者として親御さんにお伝えしたいこと

 以上、本当に羅列となりましたが、これまで私自身の記憶をもとに、発達障害児の遊びの傾向や特徴、子ども時代の遊びが成人後の生活に及ぼす影響などを考えてみました。

 発達障害当事者として、もし今私が子どもだった当時の想いを親御さんや障害児教育、療育に従事していらっしゃる皆さんにお伝えできるとしたら…そんな前提で幾つか挙げさせてください。

① 遊びのルールを理解するのが苦手です。決して我儘を言っているというのではない部分をご理解ください。その上で、決まったルールをわかるように説明してください。

※自身の経験から鑑みて、ルールに従って遊ぶというプロセスは、のちに自立した社会生活を実現する礎となり得る気がします。

② もし、ごっこ遊びにおいて子どもがペット役など大人から見て不甲斐ないポジションを務めていても、決して大人の価値観で評価しないでください。のちの自己評価が下がり、成人後も苦しむ結果に繋がります。子どもはそれなりに自分に与えられた役割を果たそうと精一杯です。その点を評価してください。

③ 身体を動かす遊び、芸術的な遊びなど得手不得手が顕著に表出します。他の子と比べて結果を一喜一憂するのではなく、前よりどれだけ進歩したのかという点をフォーカスしてください。苦手なことであっても努力したいと思えるようになります。その努力したい、向上したいという願いは後々の物事の捉え方に大きく影響します。

④ 一人で遊ぶことが基本的に好きです。協調性に欠けるということではなく、一人で遊べるようなことのほうがパニックに繋がらないという点を子どもながらに悟っているのです。

 子どもの時の遊び、そして遊びの中で挫折した経験や、できないことを努力して克服し得たという成功体験は、しかし成人後の発達障害者が本人なりに幸せを掴みつつ自立を果たす、という部分に大きく影響してきます。

 これは障害児に限らないかと思いますが、失敗した経験、うまくできなくて挫折した悔しさ、ひとりだけ仲間外れにされる傷み…そのようなネガティブなものこそが、実は子どもを強くさせ、多少のことでは折れないしなやかな心を形作っていくように、そんな印象を私は自身の痛さから強くしました。

 失敗のない人生などありません。遊びを通して苦しかったことや悔しかったこと、そこを乗り越えた成功体験の積み重ねが、子どもの将来を変えることの影響を与えるのだという事実を、ぜひ発達障害児の成長に関わる方々には知っていただきたい。

 健常児と同じように、発達障害児にも遊びにまつわる失敗や周囲の子どもとの諍いなど、いろんな経験、様々な感情の交錯を味あわせていただければ幸甚です。

[参考記事]
「高機能自閉症の娘について。自傷行為、便で遊ぶなど」

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