この記事は20代の女性に書いていただきました。
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私は発達障害の「ADHD(注意欠陥多動性障害)」と、大人になってから診断されました。
現在は病院に通院していて、カウンセリングなども受けています。私がこの診断を受けるまでの経緯と、これからについて書かせていただきます。
~学生時代~
私は学生時代、すべて通常学級で学んでいましたが、自分の思い通りにいかないと癇癪を起すような性格だったので、周りと馴染めず浮いてしまい、孤立してしまっている時期もありました。周りを巻き込んでトラブルを起こすため、親が学校に呼び出されたことも何度もありました。
その経験から、自分の感情を全面に出して行動をすると嫌われてしまう、ということを子供ながらに理解したため、なるべく自分の思ったことを口に出すことは控えるようになりました。
そのおかげで、周りとのトラブルは減った分、自分の気持ちを抑えるということが身体に染みついてしまい、ますます友達が出来なくなってしまいました。
今だから思うのですが、よく周りとトラブルを起こしていたのは、自分の衝動性や多動性が抑えきれなかったからだと思います。
仕事では怒られてばかり
学校を卒業後、民間企業の事務として勤めることになりましたが、ここでも当然のようにADHDによる性質が現れました。あまりにも多すぎるケアレスミスの多さ、言われた指示を理解できずに自分の解釈で行なってしまうこと、集中力が続かず仕事中にも眠ってしまうこと、衝動的に現場から離れてしまうことで、とにかく怒られてばかりでした。会社の中で私は「周りに迷惑をかける存在」になってしまっていました。
今になって思うと新人だからある程度のことは仕方がなかったかもしれないのですが、ミスがものすごく多くて、そのせいで会社の人と馴染むことができませんでした。私はなんでここにいるのだろう?と当時は、ひたすらに自分を責め続けていました。
夜は眠れなくなり、朝は身体が重くてたまらない。でも、会社には行かなくてはいけない。ある日、いつものように電車に乗って会社の最寄り駅で降りたのですが、そのままホームから動けなくなりました。
近くのベンチに座ってぼーっと座っていると、携帯に会社から電話がかかってきました。電話に出ることもなく、そのまま家に帰り、その日以降会社には行かなくなってしまいました。そして、そのまま会社を辞めてしまったのです。
~病院で発達障害という診断を受ける~
その後しばらく家で引きこもる日々を過ごしていたのですが、親からの勧めで病院に行くことになりました。
先生に今の症状を話すと、鬱病という診断がでました。また、幼少期のエピソードなどを話していくうちに「あなたは発達障害かもしれない」と言われたのです。その後、正式にADHDと診断を受けたのです。そして、「この鬱病はADHDの二次障害でしょう。仕事で怒られることが続き、精神に変調が生じたのです」「仕事でのミスの多さもADHDが関係している」と言われました。
今まで自分が障害を持っているということを考えたこともなかったのですが、そう言われたときにすごく安心した自分がいることに気が付きました。
なんで自分はこんなこともできないのか?他の人はできるのになぜ自分はできないのか?おかしいのではないか?これまでの自分に対して思っていた数々の疑問の答えが見えた気がしてきたのです。
~注意欠陥多動性障害と自分~
自分が診断を受けたことによっての大きなメリットは、今後の人生を生きやすくしていくための方法を探すことができるようになったことです。
障害があるから仕方ない!と開き直るのではなくて、自分の弱みをどうフォローしていけばいいか?を今も模索している日々です。忘れないように紙にメモをしたり、携帯電話のアラーム機能を使って計画事を忘れないようにしています。そして、マルチタスクができないので、一つの事だけに集中できる仕事を見つけ、今は元気に働いています。
今はインターネットが普及しているおかげで、ADHDの情報を探すことやSNSなどで同じ悩みを持つ人とつながることもできます。発達障害を抱える人が出版している本もたくさん読んでいるのですが、そういう諸先輩方が人生を上手く生きていくうえで語っている経験は非常に役に立ちます。
今の時代に生まれたメリットを最大限に生かして、自分の障害を受け入れて前向きに生きていきたいと思っています。