この記事は20代の男性に書いていただきました。
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私は20歳の時に「自閉症スペクトラム障害とADHDの合併」という診断を受けました。その時はふっと、今までの人生で感じていた肩の荷が下りたような感覚に陥ったと同時に、なぜ「周りの人のように普通に働くことができないのか」という疑問が解決するきっかけとなりました。
今回のお話では、「発達障害を持ちながら働く」ということはどんな困難があり、悩みがあり、希望があるのか、私の体験談を交えながら書き連ねようと思います。
1、私の発達障害特性について
まず、私の発達障害特性を挙げてみます。
・「かなり忘れっぽい」
・「物を失くしやすい」
・「同時並行作業を行うことが難しい」
・「正確に素早く作業することが難しい」
・「仕事に対する指示は細かく説明してくれないと混乱する」
・「興味があることに対しては過集中なってしまうことがあり、生活リズムを乱しやすい」
・「視覚優勢なところがあり、口頭で指示をされると理解がしづらい」
・「コミュニケーション面に少々難があり、字面通りに言葉を受け取ってしまったり、冗談を本気に 受け止めてしまったり、自分の考えを相手に口頭で説明するのが苦手」 などなど。
以上のように、私が働く上で障害となる特性が様々あります。作業で現れる性質はADHD、人間関係で現れる性質は自閉症スペクトラム障害を原因としますが、このように2つの性質を持ち合わせているのです。これらの性質を見ただけでも、仕事をする上での困難さが想像できますよね。
これらを踏まえて、体験談をご覧いただけると幸いです。
2、接客業のアルバイトので困難
学生時代は様々なアルバイトを行っていましたが、最初にぶつかった「壁」は専門学校時代に勤めていた接客業のアルバイトでした。この職場では、同時並行で素早く正確に仕事をすることを要求されやすい環境であり、正に私が苦手とする作業のオンパレードでした。
では、なぜ発達障害を持っているのにわざわざ苦手な職業を選んだのかということになりますが、このアルバイトをしていた当時の私は診断を受ける「前」だったのです。そのため、数々の悩みを抱えることとなりました。
具体的に挙げてみると、「かなりミスが多い」ということです。そのうちの一つを詳細に書いてみると、レジカウンターでレジを触っている際に、お客様に渡すレシートを忘れてしまったり、クレジットカードの決済を行う際にサインをもらい忘れてしまったり、レジそのものの操作を間違ってしまい、お店が保存する売り上げ伝票のデータをめちゃくちゃにしてしまったりといろいろなミスをしてしまいました。終いには、ミスが多すぎて先輩のスタッフさんからレジに触ることを禁止されることとなってしまったのです。
当時は、「ミスをしないように一つ一つの作業を確認を行いながら行う」という工夫をしていましたが、繁忙期などでテキパチと仕事をこなす必要がある場面では工夫をする余裕が生まれず、かえってミスを発生させやすいという状況を作ってしまいました。やはり、最大の原因は「同時並行作業を行うことが難しい」「かなり忘れっぽい」というADHDの性質です。何か1つの作業をしていると他のことを忘れてしまうのです。
もう一つは、お客様からの問い合わせや先輩スタッフさんからの指示を忘れやすく、もう一度指示や問い合わせを聞いてしまうということがありました。スタッフさんからの指示である場合は、もう一度聞くということができる場面が多かったですが、お客様からの問い合わせの場合はなかなか二度聞くことができず、他のスタッフさんに問い合わせへの応援をお願いすることもありました。
この問題を克服するために「メモを取る」という工夫を行っていましたが、これもまた繁忙期では様々な指示や問い合わせが一度に、大量にくるという場面が発生していたため、あまり役に立っていなかったように思います。
このようにこの職場では私の障害特性(特にADHD)が見事に露呈する結果となり、半年間勤めていましたがなかなか問題が解決せず、次第に「なんで自分は周りの人と同じようにできないんだろう」という悩みを抱え始めることとなりました。なおこの悩みは、診断を受けるまでの約3年間後まで引きずる結果となり、次第に「自分はなにをやってもダメな人間なんだという」という思いに広がっていくこととなりました。
またミスを行うたびに先輩スタッフさんより怒鳴られたり、厳しめの口調で怒られることがお店が忙しい時期と重なったため、「働くこと、職場が怖い」という思いが出始めていました。
3、新卒で入社した会社での困難
その後専門学校を卒業した私は接客業のアルバイトを退職し、そのまま新卒として採用いただいたIT系の会社に入社し、働き始めました。
この頃の私は、さきほどお話しした「自分はなにをやってもダメな人間なんだという」という思いが次第に「自分を他者と比べての劣等感」に悪化していき、精神的に不安定な状態が続いていました。さらに上京したてで慣れない大都会での生活というストレスが加わり、より一層精神的に不安定になっていました。この辺りから発達障害により二次障害(うつ、不安障害など)が現れてきたように感じます。
このような状況で、新入社員で入った会社で「壁」に当たることとなります。当時私が就職した会社は、研修に力を入れている会社だったのですが研修の内容が私にとって問題となりました。
具体的に説明すると、新人研修期間中はメンバーが固定されたグループをつくり、グループワークを中心にチームプレイを意識しながら研修の課題をこなしていくというものです。
この研修内容は、グループ内で様々な話題をいろんな方々が、同時に発言することが多いため、話が進行するスピードや作業スピードについていけない時がありました。「同時並行作業を行うことが難しい」という性質がここでも足を引っ張りました。
また、グループ内の方々が自信をもってどんどん発言し課題をこなしていく姿を見て、かねてより心の中にあった「劣等感」が刺激され、自信を失っていきました。自閉症スペクトラム障害の性質から、コミュニケーションが元々得意ではないので、ここでも他者との差を感じていました。
そして研修が始まってから半月、私にとって怖いと感じた出来事が起こります。ある日、筆箱を失くしてしまい、そのことを先輩社員の方に報告したのですが、全体ミーティングの時に新人社員の皆の前で失くしたことを報告し、探してもらうようにということを言われたのです。
結果、約100名の新人社員の視線を受けながら筆箱を探すようにお願いすることとなり、とてもとても自分が恥ずかしく、視線が怖いと思ったのです。その後どんどん精神状態が悪化していき、抑うつ状態となり会社を退職することとなりました。
4、発達障害の確定診断、そして現在とその先
会社を退職後は、日に日になくなっていく貯金や今後の生活に不安を抱えながら、派遣社員として職を転々としていました。しかし精神的な不安定さが相まってどの仕事もうまくいかず、「もう自分は無価値でこの世に必要がない人間である」という思いになっていました。そして終いには近所の公園で首吊り自殺をしようとするところまで追い詰められました。結果的には未遂に終わったわけですが、その際にハッと我に返り誰かに助けを求めることにしたのです。
その後、住んでいる地域の「若者サポートステーション」と呼ばれる機関に相談をしました。そして生活面の相談や就労支援を受けながら、半年間メンタルクリニックに通院し「自閉症スペクトラム障害とADHDの併発を伴う」という確定診断を受けました。そこから更に半年間過ぎた後、精神障害者保健福祉手帳3級の認定を受け、現在の職場に障害者雇用として就職することとなります。
働き始めた当初は、障害者雇用と一般雇用との差に非常に驚きました。まずは、就職の面接の段階でどういう事ができないのかという事を、面接担当者が真剣に聞こうという姿勢を感じたことでした。一般雇用では、面接の際に自分の短所を言った際にはマイナスポイントとなるので「得意な面」を強調しますが、障害者雇用での面接では苦手なことやできないことをハッキリと言う事ができることに驚きました。
もう一つは実際に業務を行う部分でも感じました。例えば、話を聞きながらメモ取るということは苦手なので、一つの指示が終わったらメモを書き終えるまで待っていただきたいということを職場に言い、配慮を頂いたのですが、この一つの配慮で仕事のしやすさがまったく違ったのです。ある一つの苦手なことを配慮してもらうだけでもこんなに違うのかと非常に驚きました。この後にも様々な配慮を頂き、この記事を執筆している現在の話ではありますが、勤続一年目を迎え二年目に突入しています。
今までの人生で一番長く勤められた職場であるため純粋にうれしく、自信も少しだけ取り戻せたような気がしています。もちろん、職場の方々の配慮や自分の工夫を持ってしても私の障害特性がでてしまう場面があり、かなり落ち込んでしまうのですが、様々な支援をいただきながらなんとか働いています。
今後は今の仕事をさせていただきながら、自分のキャリアについて考えていきたいなと思っています。このようなことを考えられるようになるまで心が回復したことは、私の希望となる気がします。