この記事は20代の女性に、「妹から見た発達障害のお兄さんの働き方」について書いていただきました。4つの会社を首になったという発達障害の人によくあるパターンですが、どうやって切り抜けたのか。
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幼少期〜学生時代の兄
子供の頃の兄は健康そのもので病気になる事もほとんどなかったと記憶しています。他の子供たちと違うなぁと感じた事と言えば、ひとつの事に集中すると周りが何を言っても聞こえなくなること。例えば電車やバスの路線図などを一度見だすと30〜40分はその場を離れないことがありました。
記憶力もよく、電車の駅名を全て覚えたり、子供ながらに何年も前の事を正確に覚えていたりと両親を驚かせていました。まわりからは「頭のいい子」と思われ、中学〜高校のテストや成績はとても良いものでした。
しかし、これは兄が大学受験をする時に私も気づいたのですが、兄はいつもと違う環境で試験やテストを受けるとまったく集中力が保てず、いつもの半分も力が出せない事がよくあったのです。
自分の通う学校で受けるテストや模試はとても良い成績を取れるのに、一歩外に出て、違う環境でテストを受けると、周りが気になり過ぎて、全くといっていいほど集中ができなかった様です。
今思えば、これは発達障害の影響でしょう。発達障害の人は見知らぬ環境に馴染むのに時間がかかり、試験の場合には独特の緊張感が加わりなおさらです。
結果、大学受験には2度失敗し、2浪した上で自分の実力より相当下の学校に進学する事になりました。兄はその頃から自信を失い、徐々に引きこもりがちになっていきました。発達障害の人が陥りやすい二次障害(うつや不安障害など)になりかけていたのです。
社会にうまく対応できない兄
自信を無くした兄は、当初目標だった大学院に進む事も挫折して諦め、友人の紹介で地元の中小企業の工場に就職する事になりました。地元の小さな会社に大卒の新入社員が入る事は珍しく、経営陣からはとても期待されたのですが「ひとつの事に過剰にこだわりすぎる。」「周りが見えず他の社員とコミュニケーションがとり難い」などの発達障害の人によくある性質により、他の従業員たちから煙たがられる存在になっていき、ついには首にされてしまいました。
発達障害と判明した兄
その後、3回転職しましたが他の会社でも「仕事の期限や納期を守らない」「上司に仕事の報告・連絡・相談をしない」といった事などから上司や同僚から信頼を失い、徐々に仕事場に居づらくなり、結局どこも半年前後で首になり退職してしまいました。合計で4つの会社を渡り歩きましたが、全て首と言う結果に。
私は兄に心療内科に行く事をすすめ、結果的に発達障害のADHDである事が判明しました。兄が苦手な事をいくつか挙げると
・複数の仕事を同時並行でこなすのが困難(マルチタスクができない)。
・仕事の途中で追加の条件や指示が増えると理解できなくなる。
・騒がしい場所、人目がある場所だと集中できず相手の話が聞けない。
・曖昧な指示を受けるとどうして良いかわからず混乱する。
・社内の空気を読む、相談をする、雑談をする、などが苦手。
などが挙げられます。空気を読めないなど自閉症スペクトラムの性質も交じっていると私は感じますが、診断はADHDです。
兄は子供の頃から心の中で抱えていた上記の様な苦手意識をずっと抱えて生きて来たと言います。35歳になってはじめて私に話してくれました。そして、こんなに社会や仕事で生きづらい日々が続くのは「自分の努力が足りない」からだと自分をずっと責めている、と話してくれました。
発達障害の兄の働き方
幸いにも当時私が、親類の小さな会社を引き継いだ事もあり、その会社で兄を雇用しようという事となりました。身内の中でなら働きやすいと思ったのです。兄と相談しながら、苦手な事、できる事を話し合いながら兄が働きやすい環境をつくりました。
具体的には
・集中できる一人用のブース(騒がしくない場所)を用意。
・複雑な工程がない仕事に特化(数字の打ち込みなど)。
・一度に複数の仕事を頼まない。
・仕事の進捗や停滞していないかを、こちらからマメに確認。
・曖昧な指示をせず、具体的で正確な指示を出す。
が主な内容です。
今では以上の働き方が功を奏して、毎日順調に仕事をしており、3年が経過しました。薬(コンサータなど)は副作用などもあり1年ほど前から服用していません。環境を整えた事でストレスも減り、以前のように落ち込んだり自分を責めたりという事も少なくなった様です。
[参考記事]
「アスペルガー症候群の人はどんな仕事が向いているのか」
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