一度は発達障害と診断を受けるも、後に「幼少期の家庭環境による脳の機能障害」と診断名が変わった事例です。いわゆる「誤診」をされたわけです。
家庭環境が良いのに発達障害だと診断を受けるケースが大半だと思いますが、家庭環境が悪いと発達障害と同じような症状が現れることがあります。
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一度はADHDグレーゾーンと診断(後に誤診だと分かる)された私が、ある精神科医と出会い、「発達障害ではなく、不器用な普通の人間」として生きる決心をした経緯を書かせていただきました。以下、私の名前をSとします。
自分に対する漠然とした違和感
「私は、他の友達みたいに普通じゃない」
なんとなくそう考えるようになったのは幼稚園の時(幼少期)です。
・先生の話が聞けない
・整列の順番が覚えられず、いつも「Sちゃん、こっちだよ!」と、友達や先生に教えてもらっていた
・お友達ができない。遊びのルールが理解できないので、みんな私を仲間に入れたがらない
・先生が折り紙などのお手本を見せ、「さあ、みんなも説明通りにやってみて」と言った後は頭の中が真っ白。やり方を全く覚えられない
当時は発達障害なんて言葉はまだ無かったので、私は先生や親に毎日のように叱られてばかりでした。言われることは決まって、「なんでできないの!」でした。
「そんなの、私が聞きたいよ。どうして私は、みんなと同じ足並みで歩けないの?」
子どもながらにいつも、心の中ではそう思っていました。それらの症状は小学校、中学校、高校と、人生のステージが変わっても常につきまといます。
「私は普通じゃない」
これが最大のコンプレックスであり、そんな自分が大嫌いでした。
症状が致命的だと思えた看護学校時代
高校を卒業後、私は母親の強い勧めで看護学校に進学しました。本当は他にやりたいことがありましたが、「手に職をつけなさい。看護師は専門職だし、必ずSのためになるから」と言ってきかない母親に、最終的に言いくるめられた形でした。
ところが、そこは「開校以来、学生が一人も国家試験に落ちたことがない」ということがセールスポイントのような看護学校でした。また、災害救助や海外研修とも深いかかわりのある団体にも属しており、優秀な人材を求められます。
そんな世界に、私みたいな人間はお呼びではなかったのです。そのことが浮き彫りになるまでに、そう時間はかかりませんでした。
・教員の説明通りにできない
・手先が不器用過ぎて、ベッドメーキングなどの基本的なことが苦手
・一般論を理解できず、他の学生と違う常識外れな言動が目立つ
自己嫌悪は、ますます募る一方でした。普通じゃない自分を恨み、みんなと同じように勉学をこなしたり、学生生活を楽しむことができないことで、母親に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。やがてうつ病を発症し、授業にも出られなくなった私に、教員は言いました。
「あなたには看護師としての適性が全くない。患者様の命を扱うに値しない」
まさに先生のおっしゃる通りなので、何も言えません。そのこともあり、体調も考慮した結果、私は看護学校を退学することにしたのです。
仕事を転々とするも、どこへ行っても居場所が無い
看護学校を辞めて仕事を転々とするも、やっぱり生きづらさからは逃れられませんでした。大人の私なんかよりバイトの高校生のほうがよっぽど使えるし、不器用だの、落ちこぼれだの、変人だの、どこへ行っても、張り付けられるレッテルは変わらなかったのです。
そんな中、ひょんなことから「発達障害」を知ることとなり、その症状があまりにも自分にぴったり当てはまるので驚きました。すぐに心療内科を受診したところ、主治医は「発達障害のADHDのグレーゾーンです」と診断し、リタリンが処方されました(当時は、細かい診断テストはまだありませんでした)。
リタリンの力といったら、まさに私にとっては神でした。
・集中できる
・仕事の作業スピードが上がる
・落ち着いた判断ができる
効き目は短期的なものですが、もはや手放せないものとなっていました。
リタリンの処方中止。新しい主治医との出会い
「法律が変わって、もうリタリンは処方できないんですよ」
ある日突然、主治医にそう告げられました。まさに絶望的な瞬間です。
「うそでしょ?あれさえ飲めば普通の人になれるのに。私はこれからどうすればいいの?」
ただただ途方に暮れていると、主治医は発達障害の患者さんを多く受け持っている先生を紹介していただきました。
新しいクリニックでは、それは詳細な検査が行われました。家族構成、育ってきた家庭環境、これまでの学歴、職歴、当時の様子…。すべてを聞き終えた主治医は、信じられ位言葉を口にしたのです。
「Sさんは、発達障害じゃないですよ」
あまりの衝撃に、私は言葉が出ませんでした。発達障害の診断は誤診だったのです。
先生は続けます。
「幼少期の家庭環境が悪いせいです。できないことを親に責められ、毎日のように叱られ、『お前はダメだ』と言い聞かされてばかりいた子どもは、ストレスで脳に機能障害が起こるんですよ」
「私は発達障害だからいろんなことができないんだ」と、自分で決めつけるのは待ちなさい、ということでした。確かに、家庭環境は悪かったと記憶しています。
ヒステリーで、気に入らなければすぐに暴力をふるう母親が家庭を牛耳っており、父親は「我関せず」で存在感がありませんでした。主治医によると、その時のトラウマが今もなお残っており、それを押し込めることに脳の半分を使ってしまっているということでした。
「そうか。だから私は、他の人の半分しかできなかったのか。必要な脳の機能半分しか使えてないのだから当然か」と、初めて腑に落ちました。
発達障害の診断は相当の知識がないと難しく、私のように誤診を受ける可能性があります。当時は今よりもさらに発達障害を知る医師が少なかったですので、誤診するのも仕方がないのかなと感じています。今でも発達障害の知識が少ない医師もいますので、そういう人に当たると診断を間違うかもしれません。
発達障害を疑う前に、まずは幼少期の家庭環境を振り返る
それから、私は自己肯定感を上げるためのカウンセリングを受けるようになり、徐々に自信をつけて生きづらさから解放されていきました。一つ一つ、できなかったことができるようになり、会社での評価が上がるなど、長年悩まされた症状の改善が結果として現れ始めました。
「私は、何でもかんでも発達障害にしてしまうのはどうかと思うんです」
これは主治医の言葉ですが、私も両手を挙げて賛成します。発達障害で悩む人、特にグレーゾーン(回復の期待値が大きい)の人は、まず立ち止まって考えて欲しいと思います。
普通のことを出来なくしてしまっている原因は何ですか?「あんたは本当にダメな子だ」と幼少期から言われ続け、自分を責めていませんか?まずは幼少期の家庭環境を振り返ってみてください。
私は相変わらず不器用で変わり者ですが、今はそんな自分が大好きです。「私はダメな人間じゃない。努力の大切さを誰よりも知っている」と、思考の書き換えができたからだと思います。
手先が不器用でも、空気が読めなくても、人と違う自分でも、生きているだけで価値があるのです。もちろん、苦手分野は誰にだってあります。それを受け入れ、自分なりの工夫をしながら生きていく人生は、決して悪いものではありません。
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