この記事は20代の男性に書いていただきました。
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私は24歳男性ですが、成人になってから発達障害の診断を受けています。兄も発達障害の診断を受けているのですが、あまりにも行動が似ていたため、もしかしたら自分もそうではないのかと思ったことが診断を受けようと思ったきっかけです。
・発達障害との出会い
兄が実家で荒れていると連絡があったのは、私が実家を出て一年程経った19歳の時でした。当時の兄は22歳で、高校を中退し、不良を地で行く生活をしていました。高校では周囲と関係を作ることができず喧嘩ばかりしていたと兄のクラスメイトから聞きました。
その後も荒れ狂ってはいたものの、数年後に地元の小さな工場に就職し落ち着いたかと思いきや、働き始めて2年後には退職し、その後も様々な企業の就職と退職を繰り返していました。原因はすべて人間関係だと聞きました。
私は当時働いていた会社を退職し、実家に戻り生活し始めました。すると兄の生活は思っていた以上に波乱万丈の生活でした。就職が決まった兄は意気揚々と帰ってきては、数日後には喧嘩をし退職して帰ってくるを繰り返し、「あいつらが間違っている」「あんな会社では働きたくない」と文句をぶちまける始末です。更には「俺がこうなったのは親のせいだ」と両親に文句を言いまくり、日々このループから逃れられずにいました。
ある時、父と私が二人で話をしている時に、父が「もしかしたら兄は発達障害なのかもしれない。」とこぼしました。私は「え?何それ?」と言った覚えがあります。その時、私は発達障害について詳しく知らなかったのです。「発達の障害と書くけど兄は知的に遅れていないしね?」くらいの認識でした。
父からすると「兄は昔から物覚えが悪く、要領も良くない。最初は兄はただ仕事ができないだけではないかと思ったけど違う。発達障害だと思う」と言いました。私はその時ドキッとしました。仕事に関しては自分にも心当たりがあったからです。これが私と発達障害との出会いでした。
・診察まで
私自身も仕事が全く出来なくて悩んでいました。以前、製缶工場に勤めていたのですが、上司から「お前話聞いてた?」と怒られてばかりいました。話を理解して手を動かしているつもりが、何度やっても上手く出来なくて上司に怒られる日々でした。
内容も、上司から指示された材料を工具で切るだけなのに、ちょっとでも時間が経つとどれを切ればいいか分からなくなってしまう。この材料は何センチで切ればいいと聞いておきながら、全然違う長さで切ってしまう。そしてミスはもう出来ないという焦りがさらにミスを招いてしまい怒られる。
自分は本当に仕事ができない人間だと毎日自分を責めていました。その時上司に言われたことが「要領が悪すぎる。うっかりミスが多すぎる。」でした。
その後地元に戻った私が就職した企業でも仕事が出来なく上司に怒られる日々で、うっかりミスを連発、しかも物覚えも良くない、また自分を責める生活をしていました。
父との話から「もしかしたら・・・」と思い続けた自分は、その日から兄の言葉や行動を自分と重ねるようになり、次第に「自分も発達障害なのでは無いか」と疑い始めました。ネットで発達障害について調べてみても当てはまる所が多かったです。
私が心療内科を受診するのはそれから三ヶ月後、実家からちょっと離れた病院で診察してもらいました。そこで医師に言われた「発達障害の可能性あり」という言葉を聞いた時は不思議と落ち込むことはありませんでした。寧ろ「仕事が出来ない自分」という疑問の答えの一つがわかったことに安心した気持ちが大きかったです。
・それから
初診から十ヶ月後、様々なテストや普段の生活を医師に繰り返し話して診断された障害名は「アスペルガー症候群」でした。アスペルガー症候群はよくネットで誹謗中傷の言葉として書き込まれている「アスペ」のことです。話が理解できていないような返答をした際に書き込まれています。
私は「アスペ」でした。そしたらどうしようか、治らないならせめて症状を軽くさせようと図書館やネットでアスペルガー症候群に関して調べ、行き着いた答えが「衣食住の充実」でした。例えば、適当に整えていた身だしなみを整えるように常に意識したり、散らかっていた部屋をこまめに掃除し、綺麗な部屋の環境を維持したり。
特に効果があったなと思うことが食生活の改善で、以前まで好んで食べていたホットスナックなど脂っこい食べ物や味が濃い食べ物を控えて、栄養素重視の野菜中心の食生活にしました。私にとって食生活の改善は非常に大きな変化で、この「衣食住の充実」を意識した生活は、日頃の怠惰を削ぎ落としていくような感覚に近く、発達障害の性質の是正に繋がったように思います。衣食住の充実で障害特性が改善するかどうかの医学的な根拠はないですが、私にとっては効果があったのです。
また自分が調べて実践したことを続けていけたことが徐々に自信に繋がったのか、仕事をしている時に冷静な自分を感じられるようになりました。ミスはしてしまいます。でも減りました。「次の作業ではこうしよう」というポジティブな姿勢で仕事に臨めるようになれたことが焦りを招かなくなりました。
私は診察を受けたことによって変わりました。しかし、兄は未だに荒れています。「こうなったのも親のせいだ」と。私は無職の我が子を殺す年配の方のニュースを見る度に他人事とは思えません。今となっては診察してよかったと思えます。前向きになれた私は、今は兄のサポートに日々励んでいます。
[参考記事]
「高機能自閉症の娘について。自傷行為、便で遊ぶなど」
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