この記事は30代の男性に書いていただきました。
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私は28歳の時にアスペルガー症候群(ASD)と注意欠陥多動性障害(ADHD)の傾向があると診断を受けました。障害自体はグレーゾーンで、比較的軽度なので発達障害の診断を完全確定させるための検査は行っていません。
診断を受けたときに、医師からは、「鬱状態が長期間(10年以上)放置されている可能性があり、意外と深刻です」と告げられました。現在、鬱の治療を中心に行い、状態は安定しましたが、定期的な通院とADHDの治療薬の服用を続けています。
普通は出来て当たり前が出来ない自分にイライラ
私は、幼い頃から周囲からは浮いた存在でした。子供の頃に「その態度がむかつく」と言われ、いじめの対象になり、親に相談しても「おまえが悪い、余計なことを言うからだ」「余計なことをするからだ」と言われました。教師に言っても、形だけの謝罪で終わってしまい、「君の性格にも原因があるよ」と言われました。
たまに溜まりに溜まった怒りが爆発してしまい、周囲を巻き込んだ暴力沙汰のトラブル(道具を振り回す等)を起こし、私だけが咎められました。
私の何がいけないのかを質問しても具体的な答えを返してもらったことは一度もありません。抽象的な事を言われてもその意味が全くわからず、周りに訊いても「そんなことは自分で答えを出すことだ」としか返ってこなかったため、小学生の時に親も教師も含めて周りの大人は、私の味方にはなってくれない、私を理解しようとしてくれる人はこの世には存在しないと悟りました。
「余計なことを言わない」「空気を読む」「人の気持ちを考える」「常識的な行動」という、周りの人には出来て当たり前と言われることが全く出来ず、周りと比べると人間性に劣っている自分が許せず、いつもイライラしている状態で、自分はダメな人間であると思っていました。過去の話ではなく、現在もあまり変わってはいません。
孤立を選択した10代 〜一つ目の対人対策
普通の人から見ると「空気を読まず、非常識な人間」である私は、中学校に入る前後で一つの解決策を見いだしました。
それは「周りの人との関わり(コミュニケーション)は必要最小限に抑え、自分の意見は求められた場合しか示さない。出来るだけしゃべらないように振る舞う。つまり、無口で無愛想かつ無表情な人間を演じることで極力存在を薄くする」。
これが対人関係のトラブルを回避するための「自分なりのスキル」です。ですが、いくら存在感を消しても劣等感が強く、いつもイライラしている状態ですので、時に相手にきつく当たってしまうこともあります。
例えば当時、部活動は加入が半強制だったため、吹奏楽部に所属していました。やはりここでも一匹狼を突き通しましたが、練習をサボらず真剣に打ち込んだため、私に対する嫌がらせはありませんでした。
但し、人間関係のスキルが欠けているため、異性の後輩に対して、全く容赦が無くキツイ言葉を放っていました。「相手は女の子なんだから」という周りの言葉に対して「だから何だ、性別は理由にならん」という言い返しで周りから反感を買っていました。
個別対応〜二つ目の対人対策
大学生となるとさすがに、他者との交流を絶つわけには行きませんでした。サークルにも入り、友人もでき、お酒を飲む機会も出てきました。
サークルの飲み会でお酒に酔ってしまい、うるさいくらいにしゃべってしまいました。友人の話では、ひたすら自分自身の悪口を言い続けていたそうです。場が冷め切ってもお構いなし、文章には書けないくらいの言葉で自分を罵っていたそうです。
他者に対しても、自分が言われたら嫌な事を何食わぬ顔で言ってしまい、注意されても何がいけなかったのかが全くわからない状態でした。
こんな失敗を繰り返した上で編み出したのは、「この人はこれを言われると傷つく」等、個別のパターンで記憶することでトラブルを避ける方法をとりました。
しかし、この方法では膨大なデータを記憶し、毎回その記憶を思い出さなければならないため、精神的な消耗が激しく、毎回記憶を探るために、必ず行動がワンテンポ遅れてしまう、初対面や新しい状況では通用しない、という欠点があったために、対人関係の失敗は無くなりませんでした。
「君のその癖は治した方がいいよ。」といわれても「簡単に直るならとうの昔に治している」としか返せず、相手からは「努力が足りない」としか返ってこない。私は一応悪い癖を直す努力はしても、結果は直らないので、最終的な結論は[黙る]になってしまいます。
だんだんと自分が嫌いになってきます。でも、この悩みはだれに相談しても理解されることはありません。幸い、卒業研究の先生が理解のある人だったために、悩みはしたけども苦しむことなく大学生活を謳歌しました。
心と体の限界
就職活動は困難を極めましたが、何とか就職を決めました。しかし、失敗を繰り返し、上司や先輩から罵倒雑言を繰り返される日々に憂鬱になっていくだけでした。
当時の仕事に関しては、やりがいや達成感は一切無く、[辛い]以外は何も感じなくなってしまうほどでした。体重は30kg近くは落ちたと思います。
このときに近所によく食事や飲酒を楽しみに行く店があり、そこで知り合いになった人に私が発達障害なのではないかと指摘されました。その人は医療関係の仕事をしており、児童福祉等にも知識がありました。
指摘されたときに、発達障害の意味を勘違いし、怒りをあらわにしていましたが、この性格を矯正する方法が見いだせるならばと思い、検査を受けてみることにしました。
検査の結果は、クロに近いグレーゾーンでした。更にショックだったのは、これは治すことは出来ない障害で、現実を受け入れて過ごすしか無いと告げられたことです。医師に対して、命を捨てるような手術をしてでも治せないかと質問し、医師を怒らせてしまいました。
更に、医師の話では、発達障害よりも鬱の方が深刻で、わずかなきっかけで取り返しのつかない事が起こる可能性があると告げられました。発達障害の検査でわかったことは、二次障害が深刻な状態にあることでした。
辛いだけの仕事を続けているときに、背中に重い痛みを感じました。排泄物は黒褐色になり、嘔吐物には血が混じっていました。胃カメラで検査すると、軽度の胃潰瘍を患っていました。
体の限界も悟ったため、仕事を辞め、実家の家業を引き継ぐことにしました。実家に帰ってからも通院を続けています。環境を変えたことで、鬱の症状は治まってきています。
ただ、他者の気持ちが理解できない障害があるため、人との関係を築くのが困難であり、30歳を過ぎた今でも恋愛や結婚は全く縁がない状態です。周囲との関係を絶ったことへの代償が今になって襲いかかってきた感じです。
[参考記事]
「発達障害による苦しみから飛び降り自殺をした彼女」