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発達障害と診断され、精神障害者保健福祉手帳を取得するまでの経緯

この記事は30代の男性に書いていただきました。

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 30代男性です。私は、一昨年、発達障害(自閉症スペクトラム障害)と診断され、精神障害者保健福祉手帳3級を取得しました。

 ここに至るまでの経緯を書いてみようと思います。同じ悩みや苦しみを抱えている方の参考となれば幸いです。

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高校卒業までは「学業優秀」だったが・・・

 私は、教育熱心な家庭に生まれ育ったこともあり、学校の勉強だけは得意だったので、それを武器に、高校時代までを生き抜きました。

 学業面だけから判断すると、「真面目」で「成績優秀」に見えたため、両親や教師からは、「ハンデがある」とは認識されていませんでした。

 しかし実際には、既に多くの問題が起きていました。例えば、「音楽の授業や合唱コンクールの練習で、みんなで合唱をする時に、1人だけ歌わない」とか、「体育の授業でサッカーをやっているのに、1人で敵側のゴールキーパーと雑談している」とか、「運動会が嫌だと言って参加を拒絶する」などのように、自分が嫌いなことは絶対にやろうとせず、協調性が必要になる行事を拒絶していました。

 本当のところは、学業の能力に対して、合唱したり、運動したり、協調して何かをする能力が、あまりにも低く、自分の弱々しさが明るみに出て馬鹿にされるのが嫌だったから拒絶していたのですが、「歌や運動など、くだならない」などと言って強がっていました。

大学生活で挫折し、ひきこもりになる

 大学に通うため、実家を出て一人暮らしをしたことで、状況が一変しました。これまでは、田舎の実家で勉強だけしていればよかったわけですが、それだけでは済まなくなったことにより、生活が破綻してしまいました。

 それまでまったく自覚していなかったのですが、私には、一人暮らしをして日常生活を成り立たせ、かつ、学業も行い、かつ、友人関係を円滑に構築し、かつ、都会の環境に適応する、というだけのキャパシティがありませんでした。

 田舎の小さな世界の中で、勉強だけをしている、という状態から、一気に世界が大きくなって、対応しきれなくなり、うつ状態になりました。大学での勉強の難易度も一気に上がっており、とても手につかなくなり、アパートにひきこもるようになりました。

実家に戻るも、両親との関係が悪化

 その後、ひきこもりになって大学に通っていないことが両親に知られ、大学を中退してアパートを引き払い、実家に戻ることになりました。

 実家に戻ることは、私にとって不本意であり、また、大学生活に適応できなかったことは大きなショックでした。この時点では、自分が発達障害であるとは考えたこともなく、自分がこうなったのは、両親の養育態度が悪かったせいだ、と考えていました。

 実際、私は、幼少期から、父親によって、過剰と思われるような厳しい躾を受けており、また、父親はとても支配的で、過干渉な人間でした。このことを、ずっと苦痛に思っており、不自由を強く感じていたので、そのせいで社会不適応な人間になったに違いない、と考え、親への復讐をするかのように、家の中で暴れたり、暴言を吐くことが続きました。

働きに出るたびに、失敗を繰り返す

 両親との対立もあり、ずっと実家にいるわけにはいかない、と思って、何度か働きに出ました。ハローワークやネット上の求人情報を調べ、「寮あり」「即入寮可」の求人に応募しました。そういった求人は、肉体労働の場合が多いですが、採用のハードルは低いようで、すぐに雇ってもらえました。

 しかし、コミュニケーション能力の問題から、職場の人間関係がうまくいきませんでした。私は、仕事をすると、作業そのものに過剰に集中してやり過ぎてしまい、周囲のペースや雰囲気を読んで合わせる、ということが苦手です。そのため、孤立したり、虐めの対象になりました。また、加減をして仕事をする、ということができず、体も壊しました。

 そのようにして、仕事を続けられなくなり、また、体を壊し、生活が破綻して、実家に戻り、またしばらくして仕事に出て行っては、また同じような失敗をして実家に戻る、ということを何度も繰り返していました。

さすがにおかしいと思って相談に行く

 同じような失敗を繰り返して仕事を辞めているので、自分でも、さすがにおかしいと思い、ハローワークの相談窓口で、事情を説明したところ、「発達障害なのでは?」と言われ、「発達障害支援センター」に相談することを勧められました。その時点では、私自身も「もしかしたら発達障害なのかも・・・」とは思っていたので、アドバイス通りにしてみることにしました。

 支援センターでは、これまでの経緯の聞き取りと、IQの検査を受け、それをもとに、心療内科への紹介状を書いてくれました。今は発達障害を扱っている病院は予約がいっぱいで、なかなか診察してもらえないことが多いそうですが、支援センターから適切な紹介をしてもらえたので、すぐに予約を取ることができました。

 病院でも、追加の心理テストやカウンセリングを受け、結果として「自閉症スペクトラム障害」と診断されました。その後、精神障害者保健福祉手帳3級も取得しました。手帳があれば、障害者枠の求人に応募ができるようになるので、取って損はない、とのことでした。

自分の特性を理解できるようになった

 発達障害の診断を受けたことをきっかけに、自分でも、発達障害関連の本を買って勉強してみました。それらには、まさに自分のことが書いてあり、幼少期からの自分の性質は発達障害によるものだったのだと、理解することができました。

 両親にも診断について説明しました。最初は「そんなはずはない」と言っていましたが、最近は、少しづつ、わかってきてくれているようです。

 発達障害の特性自体はそのまま残っていますが、自分で自分を理解することができたことと、両親が、自分を少しづつ理解してくれるようになったことで、今までのような無理をせず、自分のペースで生きて行けばいいと思えるようになり、安心しました。

[参考記事]
「息子が重度の自閉症と診断されるまでの経緯。療育手帳は最重度A1」

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