この記事は40代の女性に書いていただきました。
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ずっと「うっかり」だと思っていた
幼い頃から忘れ物が多い子でした。社会人になってからもそれは変わらず、とにかくケアレスミスが多く周囲からは「うっかりさん」だと思われてきました。
私は自分が「ADHD(注意欠如/多動性障害)」かもしれないとようやく自覚し始めたのはここ最近のことです。40歳になってようやく自覚し始めたのです。
自覚したきっかけは、主に2つあります。ひとつ目は再婚を機に引越しをして新しい土地で仕事を始めた時、ふたつ目は、息子が小学校に入学した時です。どちらも同時期の事ではありますが、息子の小学校入学がほんの少し先です。
入学式を終えた春先頃は、息子の持ち物を毎日という頻度で渡し忘れ、さらに学校側からの提出物の期日を過ぎて慌てて提出するという事がかなりの頻度で起こりました。その時に「自分はADHDではないのかな?」とふいに頭をよぎりました。あくまでよぎっただけで診察にいこうとまでは思っていませんでした。
なぜなら、再婚した夫にも「うっかりしていただけだから大丈夫」「誰にでもミスはあるよ」と”うっかりさん認定”という優しさに甘えたからです。
その後、新しい仕事に就いた頃に、2つ目のきっかけが訪れます。
ワーキングメモリ(短期記憶)とケアレスミス
仕事がルーティンワークだった事もあり、慣れてきたらミスもなく余裕でできる、そう自分で思っていました。ですが、単純作業なのに間違えてばかり。発達障害が原因であることは間違いないですが、問題は他にもありました。とにかく職場の教育係が厳しく、パワハラ並の教育で、同じミスをすればまるで人間失格かのごとく人格否定をはじめる人物だったからです。
それでも仕事をこなせない自分に非があるのだと、メモにやり方を書き、そしてミスした事柄を書き写したりと、同じミスを繰り返さないように、周りに迷惑を掛けないようにと毎日職場でも家でも常に緊張して過ごしました。
今思えば、このケアレスミスはADHD特有のワーキングメモリ(短期記憶)の小ささから来るものだと気づきました。
その後もケアレスミスはなくならず罵倒される毎日が続き、ついに私は耐え切れなくなり、職場を去りました。厳しさから逃げてしまった自分を責めて憂鬱な日々を過ごしました。夫にも洗いざらい話し、また自分がADHDではないかとも相談しました。それまでは「うっかりだよ」と慰めてくれていた夫も、病院で相談してみようと親身になってくれるようになりました。
自立支援医療(精神通院医療)
結果、私は精神科の検査により「ADHDの傾向がある」と診断されたのです。また二次障害による鬱状態と不眠が顕著だったこともあり、それらを先に改善することを医師に提案されました。
その約1ヶ月後にADHDの服薬治療を行なっていく事になりました。実はまだその1ヶ月には達していないのです。あと1週間後に治療開始です。すぐに治療を始めなかったのは、ADHDの治療薬は薬価が高く、毎月の医療費が莫大になる事もひとつの理由です。
医療費を軽減するために治療の前に申請をしてみてはどうですか?と担当の医師から提案をしてくれたのが「自立支援医療(精神通院医療)」でした。
周囲の理解と自認
服薬治療を通して、これから私がどのように変わっていくのかは正直不安です。うっかりじゃない私は本来の姿なのか。色々な葛藤があります。それでも家族や周囲に迷惑がかからないように自分自身を追い詰めてしまわないようになれるのならとポジティブに考えています。
私は周囲から”うっかりさん認定”を貰うことで障害のある自分を認めたくなかったのだと思います。今は、ADHDも私のカラーなのだと前向きに思えます。ここまで変われたのは良くも悪くも周囲の理解と、そして自身を受け入れる事だと痛感しています。
この体験談がADHDかもしれないと悩む方々に少しでも届くと嬉しいです。
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