この記事は20代の女性に書いていただきました。
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発達障害の当事者とその家族
どうしても周りに溶け込めない、相手とコミュニケーションが上手く取れない、整理整頓が出来ない…多かれ少なかれ、誰しもそういった悩みを抱えながら、日々の生活を営んでいることと思います。けれど、時にその生きづらさが本人やその家族を苦しめ、追い詰めることもあります。
昨今ようやく世間に認識されてきた発達障害という概念。今回は、発達障害と診断された弟と、彼と向き合ってきた両親・きょうだいについて述べたいと思います。
何だか周りの子と違う…
やや複雑な家庭事情もあり、1番下の弟と私は、一回り近く離れています。当時小学生だった私は、久し振りに弟が出来るという不思議な感覚をおぼえていました。そして無事に弟が産まれ、慣れない育児に四苦八苦する母を手伝いながら、弟の成長を見守る日々が続きました。
そんな中で、弟の様子に首をかしげることになったのは、ちょうど彼が小学生になった頃だったと思います。元々彼はおしゃべりなタイプで、発表会でも個性的な発言を繰り返し、保護者たちからは「面白い子」「元気な子」という印象を持たれていたようでした。私自身も、まだ弟は幼いし可愛いものだと思っていました。
しかし、成長していくにつれ、ある違和感をおぼえたのです。それは、会話のキャッチボールが上手くいかないという点でした。弟は、1度自分の好きなことを喋りだしたら止まらなくなり、相手の反応を見ようともせず、一方的に話続けるのです。
更に、自分が話終わったら用済みとでも言うように、興味をなくし、コミュニケーションを取ろうとはしないのです。まさに、マシンガンのように、相手に反撃の隙を与えないような、そんな様子なのです。更に、じっとしていることができず、声を出したり動き回ったり、とにかく周囲から見れば「困った子」という認識になっていきました。
正直に言ってしまうと、私はそんな弟の存在が恥ずかしくてたまりませんでした。幼い彼を見た友人や知人は、「可愛いね」「元気だね」と声をかけてくれることもありましたが、成長していくにつれ、“周囲と何か違う”、“本来出来るはずのことが出来ない”彼を見て、周りはどう思うのだろうかと考えていたのです。
本人の生きづらさと家族の苦悩
そんな状態の中、見かねた母が支援施設に相談し、そこを通じて診断を受けた結果、弟には発達障害があることが判明しました。また、知的障害を伴わない障害であることがわかり、本人の生きづらさが浮き彫りになるような形になりました。
私達の暮らす地域には発達障害を扱う病院が無く、電車で片道4時間近くかけての通院になり、服用する薬も増え、家族の負担も大きくなっていったのです。そうした環境の中、弟は二次障害で些細な事でも執拗に謝罪の言葉を繰り返すようになり、母を始めとした家族はどんどん疲弊していきました。
祖父母が発達障害についての理解がなく、弟や母に冷たく当たっていたのも、家族環境が悪化する原因だったように思います。
私は、大学で学んだ障害児教育を元に、母の話を聞くように努めました。一人で抱え込み、辛い思いをしている母を少しでも助けたいと思ったからです。そんなときに、「放課後等デイサービス」の事を思い出しました。私の地域では、まだあまり浸透していませんでしたが、同じ悩みを抱える子どもたちやその保護者と交流が出来ると思ったからです。
障害への理解と支援
現在、弟は放課後等デイサービスで出会った職員や子どもたちと共に、毎日を楽しく過ごしています。興味のあることに対して驚くほどの集中力を発揮し、得意なことを伸ばせる環境が整いつつあるようです。
そんな彼の姿を見て、母も安心したようでした。同じ悩みのある保護者と交流することや、発達障害に理解のある施設職員と関わるうちに、心身ともに落ち着きを取り戻していったのです。
発達障害に限ったことではありませんが、障害者本人は勿論のこと、それを取り巻く家族も支援の対象であることを、世間にはもっと認識してほしいと思います。特に、障害のあるきょうだいを持つ子どもへの支援は、教育現場をはじめ、社会の課題の1つであるようにも感じます。
綺麗事だけ述べるのではなく、実際に現場に赴いて、発達障害を始めとした様々な“生きづらさ”を抱える人達を支援する取り組みが進むことを望んでいます。
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